見渡せる範囲

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行く先を見通せている,ということは,曲を演奏したり,長丁場の仕事をしたりするときに,とても重要なことであるように思います.

例えば,ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『月光』の第1楽章.右手でソドミソドミ… とおもむろに弾き出すところはよいのですが,先が見通せていなかったため,ページをめくらないうちに,曲に飽きてしまいました.要は雰囲気に酔っているだけで,持続しなかったのです.

もう少し大人になって,1曲を最後まで演奏する,ということを俯瞰して考えたとき,「じゃ,この曲のいちばんの山場はどこなのか?」,「その前後関係や全体像の中から,どのような作品として表現するのか?」,「それに対して,自分は今,どの地点にいるのか?」などということを考えるようになりました.そうすると,飽きている暇がなくなってきます.今この瞬間,も大切ですが,それ以上に脈々と流れる思想のようなものの前に,ひざまずくことになります.

マラソンのペース配分にも似ているかもしれません.

* * *

逆に,「全体を把握していないからこそ,(無謀にも)取り組める」ということもありそうです.恩田 陸の小説『夜のピクニック』にも,80kmを歩き通すという行事について,「80km歩くということがどういうことを忘れているから,みな最初は遠足気分で歩き出す」というようなくだりがありました.なるほど,よく分かります.仕事にも,そういうのってありますよね.

さて,今 私が取り組んでいるこの仕事は,どうなのでしょう….
知らないほうが幸せなのかもしれません….

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このページは、(志)が2007年7月 5日 17:45に書いたブログ記事です。

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