「私」って何でできてるの?

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筆者のかたと打ち合わせした.

ちょうど,場所が私の学生時代の通学経路だったこともあり,いろいろ昔のことを思いだした.そう言えば,高校生のころはちょくちょく図書館に通って自分の世界にひたっていたなあ,とか,ここでアルバイトしたなあ,とか,あそこでたいやき食べたなあ,とか….

私は東京周辺で生まれ,育ち,暮らしてきたので,ちょっと寄り道するだけでノスタルジーにひたることができる.

今は,技術誌の編集者をやっているけれど,10年前(いや,15年前くらいか)の自分には想像もつかない未来である.でも,過去にやってきたこと,考えてきたことはすべて現在の自分につながっているし,今培っていることも必ず未来の何かにつながっていくだろうと思う.
そう思うと,何かすがすがしいような気分になる.

まったく関係ないけれど,みなとみらい駅そばに掲げてある,Friedrich von Schillerの詩(駅からクイーンズスクエアに登っていくエスカレータの右手の壁にある)を見上げるときも,同じような感慨が胸をよぎる.

樹木は成育することのない
無限の芽を生み,
根をはり,枝や葉を拡げて
個体と種の保存にはありあまるほどの
養分を吸収する.
樹木は,この溢れんばかりの過剰を
使うことも,享受することもなく自然に還すが,
どうぶつはこの溢れる養分を,自由で
嬉々とした自らの運動に使用する,
このように自然は,その初源から生命の
無限の展開に向けての序曲を奏でている.
物質としての束縛を少しずつ断ちきり
やがて自らの姿を自由に変えていくのである.

Shillerと言えば,そろそろ第九の季節だ.第九の「歓喜の歌」は,合唱経験者にとってはマタタビのような曲だ.久しぶりに,家で,CDをかけてみよう.

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このページは、(志)が2006年12月16日 18:26に書いたブログ記事です。

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