私のソーラーカー・チャレンジ25年(後編) ―― 池上 敦哉 氏(ヤマハ発動機,Zero to Darwin Projectチーム代表)
●第6回WSCに向けて秋田で「ガメラ」誕生へ
―― 結果的には連続してオーストラリア大陸縦断レースに参加されたのですね.第5回の1999年のWSCではZero to Derwin Project(ZDP)として参加したのですか?
池上氏:1999年のWSCで再びソーラーカーで参加するのですが,ZDPではないチームが新たに結成されました.秋田・大潟村のレースで懇意になった仲間内でメーリング・リストによって情報交換していたのですが,そのチームでダーウィンに行こう,ということになったのです.中心になったの東京工業大学,武蔵工業大学,東海大学の3大学のメンバと私のような社会人と,大潟村の有志の方々との不思議な混成チームでした.組み立て製作はほとんど大潟村で行ったのです.
―― 秋田で製作ですか? メンバは関東圏の人が多いのに?
池上氏:そうです.私は東海地方ですけど(笑).チーム・メンバの大潟村の農家の格納庫で製作しました.「ソーラー スポーツ ライン」が近くなので,試走もすぐに行えますから.もちろん客観的にはデメリットも大きいのですが….他のソーラーカー・チームの方々が何度か遊びに来たこともありました.ソーラーカーの技術情報の交換の場として,良かったのでしょう.
正確にいえば,すべてを秋田で製作したわけではありません.秋田部隊,東京部隊と呼んでいましたが,おもにボディなどの大物の製作を秋田で,それ以外を東京で製作し,それぞれの作業が進んだところで,秋田で合流して組み上げる,というのが基本でした.新幹線では交通費がかかるので,毎週末に東京から1台のクルマに4~5人乗って,秋田まで通いました.
個人間の連絡はインターネットを使っていつでもできます.メンバの半数は学生でしたが,彼らはそれぞれの大学ではチームのリーダでした.社会人のメンバは農家だったり,自営業だったり,学校の先生だったり….なので,私がリーダシップを取らなくても,みんなが自主的にどんどん動いてくれました.活動の様子を聞きつけてメンバが増えていったり….
このときのチーム名は「ジャンクヤード」(がらくた置き場の意味)でした.いろいろなチームのいろいろなメンバが寄り集まってできたチームで,新たにソーラーカー「ガメラ」を製作しました(写真4).
写真4 ガメラ誕生
●ソーラーカーの小型化に挑戦する
―― 日本の大怪獣で外国のソーラーカーを打ち破る,ということですか?
池上氏:いや違います.ソーラーカーの進歩は目覚ましく,上位入賞するためには平均速度100km/hが出なければなりません.そのためには高効率の太陽電池パネルが不可欠でした.当時,宇宙用途のもので,効率が20%を超えるものはあったのですが,一般人には入手できず(時価で億円単位といわれていた),われわれアマチュアはせいぜい17%クラスのものしか入手できませんでした.それでも十分高価でした.すでに二度も達成した「3000km完走」を目標とするのは面白くありません.そこで,小型化に挑戦しようと決めました.
―― それまで小型化は誰も試みていなかったのですか?
池上氏:このレースでは,ともかく太陽エネルギーをどれだけ集めるかがポイントです.しかも重い人間を乗せて3000km走らなければなりませんから,レギュレーション(大会規約)で決められた車体のサイズぎりぎりまで大きくしたいのです.ソーラー・パネルが小さくても参加できるバイシクル・レースが提案されたのですが,残念ながらあまり受け入れられませんでした.そのレースに対する想いを「小型化する」という形でガメラに引き継ぎました.
当時の大会のレギュレーションでは,全長6m,全幅2mまで認められており,どのチームもほぼ最大サイズで製作しています.車重はバッテリを含まずに130kg~150kg程度が一般的でした.ガメラは,全長3.2m,全幅1.3mで,重量もバッテリ抜きで75kg程度.廃品業者から捨て値で入手したリチウムイオン・バッテリを含めても100kg以下だったので,他のソーラーカーに比べると異常に(!)小さくて軽量でした.ただし,そもそも太陽電池の出力が他のチームの半分以下ですから,上位を狙うなんてことを考えていません.「これだけ少ないエネルギーでもオーストラリアのレースを完走できるんだ」ということを,レースを楽しみながら証明したいと思っていたのです.
最高速度を65km/h程度で設計していましたが,必ず完走できるはずという目論見は持っていました.オーストラリアのレースはほとんど直線の道路なので,とにかくオーストラリアを完走できるようにかなり割り切った造りのクルマにしました(写真5).完走だけは絶対できる設計で,小さくしただけではなく,そのための工夫は施しました.
写真5 ガメラの中身はきわめてシンプルにまとまった
―― かりやすいコンセプトですね.
池上氏:大会初日,ダーウィンに集まったソーラーカーのなかで,ガメラは目立っていました.断トツに小さかったからです.これから3000kmを走破できるソーラーカーには見えなかったようで,どちらかというと皆さん,冷ややかな視線でした(笑).
結果は総合17位で完走です.多くの人に驚きを与えたようです(写真6,写真7).ゴール地点のアデレードで表彰式が行われたとき,われわれのチームは優勝チームの隣に並ばされました.われわれも,なぜそこに並ばされたのか分からなかったのですが,「そもそもこのレースは化石燃料を消費しない省エネルギーのための技術を競うものだったのだ,ということを思い起こさせた」ということで評価されて,環境特別賞や技術賞など多くの賞を獲得しました.われわれとしても予想外で,感動しました.
写真6 ちっちゃなガメラ,オーストラリアに現る
写真7 ガメラがゴールイン
●レースのたびに挑戦する課題を新たに見つける
―― 池上さんが講演でよく言われている「設計の前に車両のコンセプトを決めることが重要」ということですね.誰もが優勝を狙えるわけではないですし….
池上氏:そうです.私が尊敬する先生の言葉ですが,「ものを作る(生産)ときに,目的(設計コンセプト)どおり達成できてこそ大きな満足を得られる」というのがあります.目的(設計コンセプト)がなく,作った(生産)だけでは大きな満足は得られない,ということです.
私は今でもモノを作るときに,同じようなモノを作るのではなく,つねに新たな目的をもって設計し,その目標を達成できるモノに作り上げていく,という基本を忘れないようにしています.周りから見ると,いつも同じようなソーラーカーを作っているように見えるかもしれませんが,じつは毎回,新しい挑戦を行っています.新たに挑戦するテーマを発見し続けているからこそ,いつまでも作り続けることができている,しかも楽しみながらできているのだと思います.ソーラーカーの世界大会では,優勝を狙ったことは最近までなかったのです.