私のソーラーカー・チャレンジ25年(前編) ―― 池上 敦哉 氏(ヤマハ発動機,Zero to Darwin Projectチーム代表)

真野 もとき

 ソーラーカー・レースやエコノ・ムーブなどの省エネルギーEVレースに参加した方であれば,池上 敦哉 氏と彼が現在代表を務める「チーム Zero to Darwin Project」の名を知らない人はいないのではないだろうか.池上氏は,ソーラーカーやエコノ・ムーブなどの省エネEVレースのれい明期に,いろいろなレースに参加しては,優勝をさらっていたカリスマ的存在だ.

 最近では,オーストラリア大陸縦断3000kmのソーラーカー・レース“ワールド・ソーラー・チャレンジ”(以下,WSCと略す)の東海大学チームに参加し,2009年/2011年大会の連続優勝に貢献した.また,東京・江東区の小・中学生(+PTA)チームを指導して「ソーラーカーレース鈴鹿」で総合6位に入るなど,ソーラーカー製作チームの裏方としても活動されている.さらに,毎年春に東京と大阪で行われている「電気自動車・燃料電池車・ソーラーカー製作講習会」(主催:日本太陽エネルギー学会)の講師も担当されている.

 ここでは省エネ型EV開発の極意を探るべく,池上氏にインタビューした(写真1).今回の前編では,少年時代からスーパーカーやバイクが大好きだった池上氏が,やがてオーストラリア大陸縦断3000kmのソーラーカー・レースに魅せられて,ゼロから挑んでいくようすについて聞いた.

 

写真1 池上 敦哉 氏(ヤマハ発動機,Zero to Darwin Projectチーム代表)

静岡県内でインタビューした.

 

 

●今年2013年はオーストラリア大陸縦断レースの年

―― 今年はオーストラリア大陸縦断レースWSCの開催年ですが,東海大学のソーラーカー開発は順調ですか?

池上 敦哉 氏:う~ん,順調ですかと今聞かれても,難しい質問ですね(笑).今年から,レギュレーション(大会規約)が大幅に変わるので,全面的な新規開発になります.そのため,設計・製作の山場はこれからですからね.

―― レギュレーションの大きな変更点とは何でしょうか?

池上氏:もっとも大きな変更点は,これまで認められていた3輪がダメになり,4輪にしなくてはならなくなったことです.レースでは,一般公道を一般車両と同じように走るので,より安全性を求めるために変更されました.平均時速で100km/hを超えるようになったわれわれのカートだけでなく,多くのソーラーカーが3輪(前輪2,後輪1)だったので,条件は同じかと思います.今回は,前輪,後輪のどれを動輪に当てるか,モータは1個にするか2個にするか4個にするかなど,各チームとも選択肢をもっているわけです.

 東海大チームでも,詳細を話せる段階ではありませんが,概要は決まってきました.ともかくどのようなソーラーカーが集まるのか楽しみですね.

 

●クルマ好き,バイク好き,レース好きな小学生だった

―― 池上さんご自身は,バイクの車体設計が本職だそうですが,ソーラーカー設計は仕事ですか,趣味ですか?

池上氏:いやいや,まったくの趣味です(笑).ソーラーカーを頭の中で考えている時間は若干あるにしても,設計や製作の作業をするのは基本的に土日だけです.平日のアフタ5も,ほとんど作業をしていません.

―― 中身は異なりますが,仕事も趣味も「クルマ作り」ですね.「クルマ作り」が好きになったきっかけは何でしょう?

池上氏:私は,1960年代半ばの生まれで,いわゆるスーパーカー世代です.子どもの時,周りは「スーパーカー大好き」少年が多かったです.私もとても好きでした.その好きが高じて,小学校の中学年くらいには,みんなと同じではつまらない,で「格好いいのはバイクだ!」と宣言しました.小学校5年生くらいからは,バイク雑誌を読み始めました.周りがスーパーカーの本を読んでいる中で,バイクの専門雑誌を読んでいたのです.専門雑誌などからクルマ技術の知識を得ていたので,友達からは一目置かれました.

―― 子ども用のモトクロス・バイクには乗られていたのですか?

池上氏:まったく乗っていません.実際に乗ったのは,高校に入って原付バイクの免許を取ってからです.ただその頃から,クルマもバイクも,レースに興味をもっていました.F1だけでなく,F2やバイク・レース,特にマシンがどのように作られているのかに関心がありました.だから,F1のデザイナには子どもの頃からあこがれをもっていました.

―― それはアイルトン・セナが活躍した頃ですか?

池上氏:違います.私が小学生のときは,F1でホンダが撤退していた時期に当たります.セナが活躍するのは,私が大学生の頃以降です.セナはたしかに凄かったです.ただ,今でもF1を毎年楽しみに見ていてすが,私はどちらかというと,ドライバより1年間のレースでマシンをどう仕上げていくかのほうに関心があります.例えば,昨年のF1は私にはとても面白かったのです.というのは開幕時には,毎年強いフェラーリがめちゃめちゃ遅くて,今年はどうなってしまうのだろう,と思いました.それが修正に修正をしながらレースを重ねていくうちに,終盤には優勝を争うまでになっていったのです.結果は優勝できなかったのですが,そういうところにワクワクします.

編集部注:ホンダは,F1については1964年~1968年に単独参戦.1983年~1992年と2000年~2005年は,エンジン供給の形で参戦.2006年~2008年は「ホンダF1」(ホンダの本体会社ではなく)として参戦した.

―― バイク・レースもF1と同じような魅力があったのですか?

池上氏:そうです.私が中学生の頃にH社は,当時主流の2ストロークではなく4ストローク・エンジンで世界GPに参戦してきました.回転馬力を稼ぐために2万回転も回したり(一般的には1万回転),楕円ピストンを採用したり,アルミ・モノコック・フレームを採用したり,その前のF1ではエンジン冷却を水冷にせず空冷に固執したり….刺激的な挑戦だとは思いましたが,当時中学生の私にも,正直言って共感できませんでした.先進的で斬新なアイデアの塊なのですが,アイデア倒れではないかと子ども心に思っていました.一方,K社は「男のバイク」と言われますが,洗練されていないイメージを持っていました.

 ヤマハは私が初めてバイク雑誌を買った小学生の頃に,「モノクロス・サスペンション」というのを開発したのですが,雑誌には「路面からの突き上げの力をリンクで車を前に押す方向に変換するので,車体が突き上げられず,前に進む」と説明されていました.当時の私は小学生なのに,「そんなことはありえない!」と思っていました.それを理論的に説明できるようになるのは高校で物理を習ってからです.そんな感じだったので,小中学生の頃はバイクや車の話の好きな,ちょっと不良っぽいグループのご意見番的な存在でした.

―― “作る”に目覚めたのはいつごろですか?

池上氏:小さい頃は,割りばしと輪ゴムで作る輪ゴム鉄砲に始まって,プラモデルなどを作っていました.中学生になるとお年玉をためてラジコンを買いました.いろいろな部品を組み合わせて自作の4輪駆動のエンジン・バギーを作り,雑誌に載ったりもしました.捨ててあったバイクを拾ってきてエンジンがかかるようにしたり….高校に入ると,バイトでお金を貯めてスズキの「ハスラー50」というバイクを初めて中古で買いました.塗装は,すぐにスズキのワークス・カラーに全面的に塗り直しました.他の人と同じバイクには乗りたくないので(笑).まあ,小さい頃から物作りは好きでした.

 

●大学の恩師からソーラーカー・レースを勧められる

―― ソーラーカーに関心を持ったのはいつですか?

池上氏:大学生の時です.早稲田大学高等学院から早稲田大学へ進学したのですが,入学すると早々に各クラブの勧誘がありました.どこかに入ろうと思っていたのですが,エコラン・クラブ(ガソリン車)の入会勧誘で,そこに展示していたエコラン・カーのフレームのアルミ溶接がすごくきれいだったのです.びっくりするほど!

 そこで聞きました.この溶接はどうしたのか,と.すると,これはマキシムワークスで溶接してもらった,というのです.それは,レース用部品の製作で有名な会社でした.私が読んでいた雑誌によく登場していたので,この会社と一緒に作れるのならこのクラブに入るしかない,と即決しました.エコランは,原付バイク用の4ストローク・エンジンを使って,1リットルのガソリンでどこまで走れるかを競うレースです.この大会は今でも多くの学校が参加していると思います.ここで使われたノウハウが,EVのエコノ・ムーブ・レースにも継承されています.

 そのクラブで工作機械も使うようになりました.当時の大学内に旋盤やフライス盤があって,自由に使えたのです.とても恵まれた環境にあるなぁ,あとは自分ががんばりさえすれば,何でも作ることができる,と思っていました(写真2).

 

写真2 クルマの話になると語り口は熱い

 

 

―― ソーラーカーの話がまだ出てきませんが…

池上氏:2年生の時,理工学部 機械工学科の永田 勝也 教授に「オーストラリアでソーラーカー・レースをやるようだよ.お前,でないか?」といわれました.聞くと,オーストラリア大陸縦断の3,000kmのレースではないですか.迷ったのですが,そのような長距離に耐久するクルマなんて簡単には作れない,と判断して,断りました.

―― えっ,断ったのですか?

池上氏:はい.第1回大会には参加していないし,行ってもいません.大会は,実際には1年延期されて,1987年に「ワールド・ソーラー・チャレンジ(World Solar Chalenge)」という名称で開催されました.結果を見て,とても驚きました.

 

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