私のソーラーカー・チャレンジ25年(前編) ―― 池上 敦哉 氏(ヤマハ発動機,Zero to Darwin Projectチーム代表)
●第2回WSCに参加! 完走を目指して工夫をてんこ盛り
―― 1990年第2回WSC大会でオーストラリアに行って,うまくいきましたか?
池上氏:目標は,遅くてもいいから3,000kmをともかく完走することでした.壊れずに走り切るために,というか壊れても完走できるように,いろいろな工夫を盛り込みました.例えば,登坂時にモータに負荷をかけすぎないように,自転車用の変速機を組み込みました.ですから自作モータ・コントローラが壊れたときは,コントローラを抜いて電池と直結してでも動きます.
もちろん,レース中の小さいトラブルはいろいろありました.レース中にねじ穴がバカになってタップを切る(手作業で穴の内側にねじ山を刻む)はめになったり,現地で借りたサポート・カーにカンガルーが衝突したり,突然はんだ付けしなければならなくなったり.でも,11日かけて,順位はともかく3,000kmを完走できました.うれしかったですね(写真8,写真9).
写真8 レース中に道路脇ではんだ付け修理
バイソラックスは少しでも太陽エネルギーを得るために,ソーラー・パネルを太陽の傾きに合わせることができた.
写真9 サポート・カーがカンガルーと衝突
運良くエンジンはなんとか動いた.
●完走の喜びと新たな悔しさ
―― 完走できたのは,設計・製作が素晴らしかったからでしょうか?
池上氏:「完走する」を重点に設計・製作したので,ある意味では当然ですが,正直,運も良かったと思います.でも,この大会で完走できた喜びとともに,世界の壁というか,レベルの差というか,そういうものも強く印象に残りました.
この第2回大会では,日本のプロ(!?)のチームも完走して上位に入っていました.それはクルマ作りが本職だし,しっかりとした体制で参加しているので当然ともいえます.
米国の大学チームは,われわれ日本の学生チームとは,お金のかけ方も,チームの構成も,まったく異なっていてすごいかったです.とくにミシガン大学は,大きなトレーラを持ってきていました(写真10,写真11).中には工作機械がなんでもあって,修理工場が丸ごと入っているようでした.スタッフもたくさんいて,名刺交換するとGeneral Motors社やNASA(米国航空宇宙局)やIBM社の名刺を平気で出してくるのです.
写真10 ミシガン大学のソーラーカー
写真11 ミシガン大学チームのサポート・トレーラ
ラボが丸ごと移動する.
「なんだ,大学と関係ない人がチームにいるじゃないか」と思い,ねたみでちょっとしゃくに障りました.ミシガン大学はその大会で3位でした.われわれは予算がなく,自分たちがお金を出し合って車を作っているのに,アメリカの大学はこの体制ですから.同じ大学として日本の大学はダメでアメリカの大学はすごい,と思われるのがイヤでした.負け犬の遠吠えじゃないですが,「同じ体制なら,絶対に負けないのに!」と思い,とても悔しかったです.