私のソーラーカー・チャレンジ25年(前編) ―― 池上 敦哉 氏(ヤマハ発動機,Zero to Darwin Projectチーム代表)

真野 もとき

●WSC第1回,日本は惨敗! そして次大会の参戦を決意!

―― 断ったものの,気にはなっていたんですね.

池上氏:当時,太陽電池そのものがとても珍らしく,レースの結果は雑誌やテレビで取り上げられました.エコランの製作技術が生かせるので作ってみたい,とは思っていましたが,一般公道を3,000km走りきる車を「作りたい」,「作れます」と言い切る勇気と自信がなかったのです.

 3,000kmのレースで優勝したのはGeneral Motors社が開発したSunraycerで,断トツの1位でした(写真3).これはある意味,当然の結果なので,驚きませんでした.しかし,オーストラリアの大学チームが作った自転車に毛の生えたようなソーラーカー(写真4)とか,同じく女子大チームで参加したソーラーカー(写真5)などが3,000kmを完走したことに驚いたのです.

 

写真3 第1回WSCで優勝した米国General Motors社のSunraycer

 

 

写真4 完走したクラウンダ・カレッジ(米国)のソーラーカー

 

 

写真5 完走したアネスレイ・カレッジ(オーストラリアの女子大)のソーラーカー

 

 

―― 驚いた,というのはなぜですか?

池上氏:「しまった,やればできるんだ」と驚いたのです.言い換えると,「俺はなぜ挑戦しなかったのだろう」と.すごく悔しかったのです.

 日本からも何台か参加していました.当時,太陽電池を発売していたHOXAN(北海道酸素)のチーム,レーシング・チームとして有名なレイトンハウス/日テレのチームなど,そうそうたるメンバが参戦したのですが,いずれも完走できませんでした.しかも,数カ月後,それらのチームのレースの様子がテレビのドキュメンタリ番組で放送されました.複数のテレビ局が,面白い題材で日本の技術力を世界にみせつけられる,と思って追いかけていたのでしょう.でも惨敗.地元の学生チームでも完走できたのに何たることだ,情けない.もう悔しさを通り越して怒りを覚えました.

 それで,次回の1990年の「ワールド・ソーラー・チャレンジ」には,必ず学生チームとして出場して完走すると決意し,周りに宣言しました.

 

●チームを結成し大学内で製作開始

―― エコラン・クラブでソーラーカーを製作することになったのですか?

池上氏:エコラン・クラブとは別ですが,クラブのメンバと永田研究室の卒論メンバでソーラーカー・チームを組織しました.ともかく,これまでのエコラン製作では考えなかった3,000kmに耐えうる車体を作らなければなりません.もちろん,ビッグ・スポンサの当てもないままスタートしました.ともかく,まず「動くモノ」を作ろうと必死で,大げさでなく死ぬ気で考えましたね.車体は屋外で製作し,保管場所もないので廊下に置いていました(写真6).そういうことが許されていた大学でした.

 

写真6 ボディの製作過程

 

 

―― 写真6の車体の下にある長い板はなんですか? 板バネに見えますが…

池上氏:そうです.サスペンション・アーム兼サスペンションです.3,000km走るにはサスペンションが絶対に不可欠と考えました.当時は,希望するようなサスペンション部品は買えなかったので,作るしかない.お金はないけど,強度はほしい.そこで,ベニヤ板を曲げて型を作り,その上にFRP(繊維強化プラスチック)を積層して,FRP製リーフ・スプリングを作りました.カーボンの単方向繊維を入れてあります.いま振り返ると,よく考えついたなぁ,と思います.必死で考えたのでしょうね.

 

●コンテスト入賞でソーラー・パネル獲得を目指すが失敗

―― 資金は大丈夫だったのですか?

池上氏:当時の日本は,「行け!行け!」のバブル時代でした.「早稲田の学生」であることを前面に出せば,ずるい考えですが,ある程度はスポンサが集まる,と皮算用しました.それができる,ある意味ではいい時代だったと思います.実際,いろいろと現物で提供していただいたりしました.ただし,もっとも高価なソーラー・パネルをどうやって入手するか,渡航費と運送費をどうするか,という問題がありました.人間の運賃は各個人がなんとかするにしても,ソーラーカーを現地まで運び,また持って帰らなくてはならないのです.

 ちょうど1989年7月から名古屋で開催された世界デザイン博覧会を記念して「ソーラーカー・デザイン・グランプリ」というコンテストが行わる,という情報が入りました.書類による1次審査でパスしたら,なんと無条件で太陽電池パネルが供与される,というのです.3月末が締めきりで,パスしたら7月までに実車を作ってデザイン博の会場でデモ走行する義務を負う,というものでした.願ってもない,おいしい大会です.締め切り間近に大会事務局に電話したら,「まだ,ほとんど申し込みがないんですよ」と泣きそうな声でした.これは「もらった」と思いました.で,フタを開けると,なんと見事落選.ちょっとショックでしたね.

 しかし,めげずに太陽電池はなんとか購入して,「朝日ソーラーカーラリー(9月,神戸で開催)」に参加しました.このころは,ソーラーカー・レースがあちこちで立ち上がりました.残念ながらそこでも入賞できなかったのですが,会場でカメラ・メーカのPENTAXから「スポンサになってもいいよ」と言われました.これでマシンの渡航費が得られた,とほっとしました.本当にありがたかったです.

―― それで,大きくスポンサ・ロゴが入ったのですね.

池上氏:そうです.1社だけ大きいでしょう(笑).車名は「バイソラックス」と命名しました(写真7).

 

写真7 ビッグ・スポンサが登場してオーストラリアに運ぶことができた

 

 

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