初めての技術系コミュニティ活動(4) ―― 「ふつうの僕」が東京に出て始めたこと
こんにちは,あまのりょーと言います.このリレー連載を請け負ったものの,第1回~第3回までの皆さんに大事なエッセンスはすべて書かれてしまった感があり,大いに困っております.しかし蛇足だと開き直って,自分のケースを書いてみようと思います.第3回の前川さんが書かれている通り,すべてのきっかけは"ジコチュー"から始まるわけで,こんなジコチューな気持ちでコミュニティ活動に携わってもいいんだ,ということをお伝えするのも悪くないかな,と思えて来たので.:-)
●京都~札幌時代
筆者の技術系コミュニティ活動の原点になっているのは,学生のころに参加して活発にやりとりしていたREALbasic日本語メーリングリスト(RbJ-ML)です.
生態学という分野で研究者になろうと考えて大学院に通っていた筆者が,全く畑違いのソフトウェア・エンジニアとして現在働いているのも,RbJ-MLで出会った人たちの影響が大きいです(ちなみに,当時やりとりしていたメンツとは今でも仲が良く,全然関係ないイベントなどで名前を見かけたり,新たに共通の知人が見つかったりして業界の狭さを感じています).
そんなわけで研究者ではなくエンジニアの道を選んだ筆者ですが,学生時代に住んでいた京都を離れ,就職したのは札幌の会社でした.この会社は,原生林に囲まれた社屋で尊敬できる同僚と一緒に働けるという非常に恵まれた環境でしたが,社外の技術系コミュニティとの関わりという観点からすると少し物足りなかったのも事実です.
インターネットがあるので,既公開の情報収集という意味では,札幌という場所が大きく不利ということはありません.しかし,インターネットにはまだない新しい情報や刺激に関しては違います.
例えば東京圏で開催されるセミナや展示会一つをとってみても,札幌から参加するのは大変です.たとえ参加予算が確保できたとしても,時間の問題があります.頑張れば日帰り出張にできなくもありませんが,なんとか東京のお客様との打ち合わせなどに重ねて泊まりの出張にする,などの工夫が必要でした.現在働いている東京の会社の場合,会場次第では朝展示会に寄ってきて,昼過ぎには出社できることを考えるとまさに雲泥の差です.ましてや平日の夜に行われている勉強会に参加するのはほぼ無理,という状況でした.
今考えると,札幌市内であっても探せばそういった勉強会は皆無ではなかったでしょうし,自分が言い出しっぺになって開催してしまう手だってあったわけなのですが,まだ駆け出しだった筆者にその余裕はありませんでした.