デバイス古今東西(52) ―― イノベーション創発を最優先するリーン・スタートアップの考え方

山本 靖

tag: 半導体

コラム 2013年8月22日

 前回のコラムでは,価値を生まない活動を排除し,価値を最大化させる活動を促進する「リーン思考」について議論しました.今回は,この無駄を排除するリーン思考を「ものづくり」や起業に応用して,いかにイノベーションを創発させるのかということについて述べます.


●リーン・スタートアップのアプローチ

 『リーン・スタートアップ』(1*)を著したエリック・リース氏は,本著にて,結果として後に成功することとなるIT企業の創業と,そこでの商品開発の経験について語っています.

 「私も仲間もこのころはまだ経験が浅く,何をどうすべきなのかが分かっていなかった.だからまちがいばかりをしてしまった.じっくり時間をかけて技術を完成すべきだったのになんとか動くだけのものを製品にしてしまった.時期尚早なひどい製品だ.バグだらけだし,安定性も悪く,マジでコンピュータをクラッシュさせることが多かった.製品ととても言えない状態で提供してしまったのだ.しかも有料で.そして,ある程度の顧客を確保したあと,普通では考えられないほど頻繁に製品の改定を行った.毎日,何十回も新パージョンをリリースしたのだ」

「普通,このようなやり方はよくないと言われるのだが,実際にはこれがうまくいった」

 この手法のベースは,「リーン生産方式やデザイン思考,顧客開発,アジャイル開発など,従来から活用されてきたマネジメントや製品開発の手法」を総合させたアプローチです.「ただ,イノベーションを継続的に生み出せるアプローチである点が新しい」というところが重要で,その手法を「リーン・スタートアップ(Lean Startup)」と呼んでいます.


●実用最小限の製品(MVP;Minimum Viable Product)という概念

 「優れた計画,しっかりした戦略,市場調査の活用だけでは不十分である.不確実性が多いスタートアップにこの方法は使えない.どういう人が顧客になるのかやどういう製品を作るべきかさえもまだ分からないのがスタートアップなのだ」

 「分析による停滞.分析のやり過ぎはよくないが,やらなければそれもまた失敗する.では,いつ分析をやめ,製品開発にかかるべきなのか,そのタイミングはどうすれば分かるのだろうか」

 「戦略は仮説に基づいている.要の部分はアナロジ型の論証という形をとることが多い.仮説は正しいと証明されていないし,単なる思い込みで間違っている場合も多いため,なるべく早期に仮説の検証を行うことがスタートアップ立ち上げの時の目標となる」

 ここで,「実用最小限の製品(MVP;Minimum Viable Product)」という概念が出てきます.このMVPとは,見込み客に販売できる最小限の製品であり,製品開発の「最小機能セット」のことを意味します.作り手側も顧客側も,構築(Build)- 計測(Measure)- 学習(Learn)というフィードバック・ループがある学びのプロセスを通じて製品作りを目指しますが,MVPは,基礎となるものづくりの,あるいは新規事業の仮説を検証するためのものです.

 従来の製品開発は長い時間をかけてじっくりと開発し,完ぺきな製品を目指します.一方,MVPは学びのプロセスを実践することが目的であって,そのプロセスを終了することが目的なのではありません.プロトタイプやコンセプト検証とは違いますし,製品デザインや技術的な問題を解決するためのものでもありません.


●リーン・スタートアップは品質のばらつきを気にしない

 「いいかげんな仕事をすればばらつきが大きくなる.ばらつきがあると顧客が見る最終製品の品質もばらつき,よくてやり直し,最悪のケースでは顧客を失うことになる.だから,近代的な事業やエンジニアリングは優れた顧客体験の生成を基本としている.シックス・シグマもリーン生産方式も,デザイン思考,エクストリーム・プログラミング,ソフトウェア職人気質もすべてこれを基礎としている」

 「品質に関する議論は,顧客が価値を認める製品の特質は分かっているとして行われる.しかし,スタートアップの場合,これは思い込みにすぎず危険なことが多い」

 本来,品質工学という視点に立てば,品質のばらつきは経済的損失を招きます.品質のばらつきが大きくなればなるほど,経済的損失が大きくなります.これは田口玄一の損失関数として知られています.損失関数をL(x),品質の目標値をT,品質の結果としての値xとするならば,損失関数は結果値xの目標値Tからのずれの二乗に比例して増加する二次式,

   L(x) = K(x - T)2   (式1)

で表すことができます(ただしKは比例定数,x>T).

 L(x)は,品質が目標通りに収まらない場合に生じる経済的損失を表す損失関数です.しかし,この品質のばらつきを犠牲にしてでも,イノベーション創発を優先するのがリーン・スタートアップ手法なのです.


●米国社会の実践的思想「プラグマティズム」と収穫逓減

 イノベーション創発に向けたリーン・スタートアップ手法は,アメリカのプラグマティズムや,経済学の収穫逓減と共通項があるように筆者は感じます.

 米国社会はプラグマティズム(実用主義)で動いています.例えば,その因果関係が必ずしも分からなくても,結果が良ければすべて良しとすることです.因果の理屈は二の次で,こうすればこうなったという実証がより大事だという考え方です.米国の哲学者C.S.パース(Peirce)が創始した一つの哲学です.ベンジャミン・フランクリン,スティーブ・ジョブズ,オバマ大統領などはプラグマティックの代表と言われています.体系的な理論に従うというより,とにかく徹底的に試行錯誤を繰り返すことで成功を勝ち取りに行きます.ここにイノベーション創発の源があると考えられています.分析的思考だけではイノベーションは生まれません.

 そして,経済学で言う収穫逓減の法則の現象です.実用最小限の製品(MVP),バグを持った製品,品質にばらつきがある製品などを,顧客に正々堂々と提供することは日本ではあまりありません.じっくり時間と費用をかけて完ぺきなものを目指し,手抜きは許されません.図1に示すグラフは,経済学上の生産関数です.労働の投入量を増加させると産出量も増加しますが,労働の各増加分に対する産出量の増加分は次第に小さくなります.つまり,曲線の傾きは労働の増加によって緩やかになります.ものづくりも品質も,同じ収穫逓減で表すことができます.


図1 生産関数と収穫逓減

 


 リーン・スタートアップとは,100%の完全を目指すのではなく,例えば20%の機能,性能,品質を犠牲にしてでも,構築(Build)- 計測(Measure)- 学習(Learn)というフィードバック・ループの学びのプロセスを通じて,イノベーション創発を最優先させようという手法なのです.


参考・引用*文献
(1)エリック・リース;『リーン・スタートアップ』,日経BP社,2012年.
(2)田口 玄一;『品質の管理』,日本規格協会,1969年.
(3)田口 玄一;『ロバスト設計のための機能性評価 効率的開発の方法』,日本規格協会,2000年.
(4)小川 仁志;『アメリカを動かす思想:プラグマティズム入門』,講談社現代新書,2012年.


やまもと・やすし


◆筆者プロフィール◆
山本 靖(やまもと・やすし).半導体業界,ならびに半導体にかかわるソフトウェア産業で民間企業の経営管理に従事.1989年にVHDLの普及活動を行う.その後,日米で数々のベンチャ企業を設立し,経営責任者としてオペレーションを経験.日米ベンチャ企業の役員・顧問に就任し,経営戦略,製品設計,プロジェクト管理の指導を行っている.慶應義塾大学工学部卒,博士(学術)早稲田大学院.

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