デバイス古今東西(51) ―― 設計開発工程の効率化を実現するリーン思考とは何か

山本 靖

tag: 半導体

コラム 2013年7月24日

 リーン(lean)とは,人や動物では「筋肉質」を,経営学では「効率化」を意味します.リーン思考とは,価値を生まない活動を排除し,価値を最大化させる活動を促進するというものであり,トヨタ生産方式の原点として知られている原則です.

 リーン思考は,学問の世界,あるいは経営学の生産部門に関する分野で論じるだけでは十分ではありません.研究・開発・設計・生産・テストという一連の「ものづくり」や,サービスなどの「ことづくり」にかかわる企業が,リーン思考という理論を実践してこそ十分だといえます.


●リーン思考は価値を最大化させる

 市場競争が激しい領域において,製品開発を迅速に行うことは企業の成功を決める要因の一つです(1)(2).そして産業全般において,企業が原価面で競争上の優位性を獲得することは基本的な戦略となっています.そのため企業は,計画コストの制約条件下で,製品開発における設計開発工程の期間を短縮させる方策を実施し,所要時間と所要コストの効率化を達成しようとします.しかし,設計開発工程の時間短縮とコスト低減は二律背反の問題であり,二つを同時に改善することは容易ではありません.従って,所要時間と所要コストを同時に効率化するための検討を行うことは,製品開発においてとても有効なのです.

 設計開発工程の効率化を実現させた例証として,リーン思考による効率化事例があります.リーン思考はトヨタ生産方式の原点として知られており,James P. Womack氏などの経営学者がそのシステムを研究し,体系化しました(3).それ以降,リーン思考に関する研究が重ねられてきました.リーン思考は価値を生まない活動を排除し,価値を最大化させる活動を促進します.この価値の最大化のねらいが,結果として所要時間と所要コストの双方を同時に効率化しているのです.


●日本の自動車メーカによる効率化事例

 1980年代,米国の企業と比較して,日本の自動車メーカの製品開発はかなり柔軟かつスピーディに行われていました(4).そして特に1990年代中盤から,日本の自動車メーカは大幅な開発期間短縮に取り組んできました(3).実際,欧米企業に比べて日本企業の開発工数は少なく,コンセプト検討開始から発売までの開発期間も短いと言われています(5).さらにプロジェクト・メンバ数が大幅に少ないと指摘されています(4).これは日本の技術者の職務範囲が広いことが一因です(6).米国の技術者の業務分担が明確に分かれているのに対し,日本の技術者同士はセクションや部門を超えてオーバラップしています.こういった業務の重なりは,休暇や万が一の場合のバックアップ,問題の共有と相互の解決に役立ちます.

 Womack氏らが行った日米の同等車種の比較調査によれば,米国のGM-10の開発期間が7年であるのに対し,日本のアコードの開発期間は4年でした(3*).そしてGM-10は製造が容易ではなく,コスト高でした.Clark氏と藤本氏は,日本と欧米の自動車メーカのクリーン・シートを対象として調査を行いました(6*).開発期間に関しては欧米が60カ月に対して,日本は46カ月でした.そしてコストに直接影響を及ぼす延べエンジニアリング時間は欧米が310万時間であるのに対して,日本は170万時間でした.つまり日本の自動車メーカは開発時間の短縮化だけでなく,開発の所要コストも低減させていたのです.自動車のものづくりの基本原理は世界中どこでも変わらない中,所要期間とコストを同時に削減させた開発技術力という事実は,前述の定説を覆す発見といえます(7)


●リーン思考の本質はトヨタ生産方式の基本原則

 日本の自動車産業は,製品の品質や世界市場のシェアを今見ても,世界トップ・レベルにあります.その国際競争力の源泉が生産方式を切り口として長年議論されてきました.JIT(ジャスト・インタイム)やカンバンといったトヨタ生産方式は表層的な仕組みの一手法です.これらトヨタ生産方式は根本的な思考を拠り所にしています.それは大野氏が示した生産アプローチと仕事の哲学であり(8),トヨタ生産方式を探求し体系化させたリーン思考なのです(3)(9)

 リーン思考の本質は五つの基本原則として展開されています(10*).その原則は以下の通りです.

  • それぞれの製品の価値を正確に定義づけること
  • それぞれの製品の「価値の小川」を定義すること
  • よどみない価値の小川を作り上げること
  • 顧客がメーカから価値をプル(pull:引き寄せる)できるようにすること
  • 完全性を追求すること

 この原則を見る限り,リーン思考の出発点は「価値」です(第39回を参照).リーン思考では,まず,顧客が何に本当の価値を見出しているかを問うことから始めます.次のステップで具体的な製品について価値を生み出す活動を行う一方,価値を生まない活動を排除します.そしてデザインや製品が顧客からのプルによって,スムーズかつ急速に広がる流れを作り出します.この流れとプルが実行されると,最後に完成度を高めるための改良のサイクルを加速させます.

 上記の中で何も価値を生まず,資源をただ消費する活動を「無駄」と呼んでいます(8)(10).リーン思考は人,設備,時間といった経営資源をより少なく消費させながら,同時に顧客が要求しているものを提供する状態に近づけてくれます.そして無駄を価値に転換させる改善活動でもあるので,効率的な仕事を創造することでもあるのです.

 次回のコラムでは,この無駄を排除するリーン思考をものづくりや起業に応用し,いかにイノベーションを創発させるのかということについて述べます.


参考・引用*文献
(1)Ahmadi, Reza, Roemer, T. A. and Wang, R. H.; "Structuring product development process", European Journal of Operational Research, Vol. 130, pp. 539-558, 2001.
(2)Blackburn, J. D.; "Time-Based Competition: The Next Battleground in American Manufacturing", Business One Irwin, Homewood, IL, 1991.
(3*)Womack, J. P., Roos, D. and Jones, D. T.; "The Machine that Changed the World", Rawson Associates, New York, 1991.(J. ウォマック,D. ルース,D.ジョーンズ(沢田博訳);リーン生産方式が,世界の自動車産業をこう変える,経済界,1991年.)
(4)藤本 隆宏;自動車製品開発の新展開 フロントローディングによる能力構築競争,ビジネスレビュー,Vol. 46,No. 1,pp.22-45,1998年.
(5)藤本隆宏,延岡健太郎;製品開発の組織能力:日本自動車企業の国際協力,RIETI Discussion Paper Series 04-J-039,経済産業研究所,p.14,2004年.
(6*)Clark, K. B., and Fujimoto, T.; "Product Development Performance", Harvard Business School Press, 1991. (藤本 隆宏,K. クラーク(田村 明比古訳);製品開発力,ダイヤモンド社,1993年.)
(7)藤本 隆宏;能力構築競争-日本の自動車産業はなぜ強いのか,中公新書,pp.334-340,2003年.
(8)大野 耐一;トヨタ生産方式-脱規模の経営をめざして,ダイヤモンド社,1978年.
(9)Poppendieck, M. and Poppendieck, T.; "Lean Software Development", Addison-Wesley Professional, 1st edition, 2003.(メアリー・ポッペンディーク,トム・ポッペンディーク(平鍋 健児,高嶋 優子,佐野 建樹訳);リーンソフトウエア開発~アジャイル開発を実践する22の方法~,日経BP社,2004年.)
(10*)Womack, J. P. and Jones, D. T.(稲垣 公夫訳);ムダなし企業への挑戦,日経BP社,1997年.


やまもと・やすし


◆筆者プロフィール◆
山本 靖(やまもと・やすし).半導体業界,ならびに半導体にかかわるソフトウェア産業で民間企業の経営管理に従事.1989年にVHDLの普及活動を行う.その後,日米で数々のベンチャ企業を設立し,経営責任者としてオペレーションを経験.日米ベンチャ企業の役員・顧問に就任し,経営戦略,製品設計,プロジェクト管理の指導を行っている.慶應義塾大学工学部卒, 博士(学術)早稲田大学院.

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