デバイス古今東西(36) ―― 昨今のビジネスを動かす「エコシステム」の正体

山本 靖

tag: 半導体

コラム 2012年4月27日

 今回は,米国のシリコン・バレーから広がった「エコシステム」の考え方について述べます.エコシステムは,人を核とする企業,団体,組織,個人,およびビジネス環境から構成される一つのまとまりを意味します.クラスタという概念に似ていますが,異なる部分もあるようです.ここではエコシステムの定義と,いくつかのエコシステムの事例について説明します.

 

●エコシステムとは,ビジネス界の「生態系」

 エコシステムは,IT業界のビジネスの世界でよく利用されるキーワードです.経済性を意味する「エコノミック」から派生したエコ,すなわち節約するシステムなどを連想するかもしれませんが,そうではありません.もともとは生態学における「生態系」を表す概念です.生態系とは,生物やその環境からなる一つのまとまりを表します.

 現在の生態系という概念は,昔の生物学の教科書で私たちが教わったものとは変わってきているようです.かつては,「森林は森林」,「河川は河川」というようにそれぞれが独立したシステム(系)と考えられてきました.しかし今や,生態系は相互に複雑に絡み合ったシステムと認識されています.例えばカキ養殖業を営む畠山 重篤 氏は,森と海のつながりの大切さに気づき,気仙沼湾に注ぐ大川流域に,漁民による森づくりが進めているそうです(1).筆者が学生のころは,「裸地」→「草原」→「陽樹による森林」→「陰樹による森林」という過程を経て最終的に「原生林」に到達する植生遷移について教わりました.しかし生態系には火災,病虫害,風雪といった錯乱が生じることが普通で,特定の安定した均衡点は存在しないことが明らかになっています(2)

 IT業界のエコシステムは,その生態系の比喩に基づいて作られた造語です.ビジネス生態系あるいは産業生態系と呼ばれることもあります.このエコシステムは,クラスタという概念に似ていると言われています.しかし,まったく同じではありません.

 エコシステムとクラスタの違いを簡単に整理してみます.

 

●エコシステムにあってクラスタにはない3項目

 エコシステムとクラスタという二つの概念は必ずしも明確ではないと指摘する学者がいます(3).そこで,それぞれの概念の定義をあらためて振り返ってみます.

 IT分野においてエコシステムという概念を提示したのはJames F. Mooreです(4).Mooreはビジネス上のエコシステムを以下のように定義しています.

 「エコシステムとは,相互作用している組織や個人の根本,すなわちビジネス社会における有機体によって支持された一つの経済共同体です.この経済共同体では,自身がエコシステムの構成員となっている顧客に対して,価値ある財やサービスを生成します.有機体である構成員には,供給者,最先端の生産者,競合他社,および他の利害関係者が含まれます.時間が経過するにつれて,その構成員らは自身の能力と役割を共同で進化させ,一つまたは複数の中心的企業によって設定された方向に立場を置く傾向にあります.その中心的企業が担っているリーダシップの役割は,時間の経過とともに変化する場合があります.しかしエコシステムのリーダ機能は,その経済共同体で評価されます.なぜならば,その機能によって投資の方向性を一致させ,相互支援の役割を発見するための共有した構想に,構成員は向かうことができるからです」(訳はコラム著者による).

 明らかに現在の生態系の考え方を比喩として利用し,IT業界におけるビジネスの構造や実践を記述しています.

 一方,クラスタは,簡単に言うと「集積」です.戦略論で有名なマイケル・ポーターの定義を引用してみます.

 「クラスタとは,ある特定の分野における,相互に結びついた企業群と関連する諸機関からなる地理的に近接したグループであり,これらの企業群と諸機関は,共通性と補完性によって結ばれている.」(5)

 知識基盤を用いてダイナミックな動きをする経済活動では,競争やイノベーション,生産性向上,新規事業の形成という点で,立地の役割が重要であると認識されています.カリフォルニアのワイン産業やシリコン・バレーの半導体産業はその例です.

 クラスタの形成には「創発型」と「計画型」があります.先の二つの事例は創発型に入ります.政府や地方自治体が主導する方法は計画型です.実際のところ,クラスタをシリコン・バレーのように計画的に形成しようとして失敗した事例が多いことが知られています.計画型では企業家活動の喪失が多いことも,失敗の要因となっているようです(3)

 エコシステムにあってクラスタにないものは,筆者の知る限り少なくとも3点あります.一つ目は,エコシステムでは,価値創出と共有を促進し,エコシステムの健全性を促すプラットフォームの存在を強調している点です.二つ目は,エコシステムには,新しい技術の開発や商品化の過程の生産性を向上させるために,ラピッド・プロトタイプや短納期開発,早急なテスト・マーケティングの実施,各企業の主体性の尊重,といった時間軸にかかわりのある共通の特徴がある点です(6).三つ目は,エコシステムは,必ずしも地理的に近接しているグループであるとは限らないことです.

 

●JR東日本の「エキナカ」はエコシステム

 エコシステムについては,米国のシリコン・バレーの中で現れる新しい技術の創発型のパターンが数多くあることが分かっています.

 インターネット経由で顧客にアプリケーション・ソフトウェアの機能を提供するASP(アプリケーション・サービス・プロバイダ)事業者は,エコシステムを積極的に構築し,自社の強みだけに経営資源を投入することに努めています.個別のソフトウェアの開発・提供,ハードウェア,データ・ハウス,ITコンサルタント,システム・インテグレータ,付加価値再販業者(VAR),ネットワーク・キャリア,WANプロバイダ,顧客支援システム,課金請求システム,トレーニングや教育などについては,エコシステムというコミュニティ内の専門パートナに任せています.

 日本では,JR東日本グループが展開する「エキナカ」がエコシステムの代表的な事例です.不動産業的な単なる場所貸しのモデルではなく,店舗全体の売り上げを重視し,売上仕入れ方式のビジネス・モデルとなっています.各ショップとの協業を重視し,JR東日本グループの流通業による売上を4割高めることをねらっています(7)

 このほか,半導体産業においてもエコシステムは存在します.標準化されつつある対象物をプラットフォーム化する事例は昔から数多くあります.例えば直近では,本コラムの第17回で述べた次世代高速シリアル伝送規格「MIPI」を標準化している非営利団体のMIPI Allianceがその一例です.モバイル機器アプリケーションの開発においてマイクロプロセッサ,周辺機器,ソフトウェア・インターフェースに焦点をあててプラットフォームを構築しています.そのエコシステムを構成しているパートナには,携帯端末メーカ,システム機器メーカ,半導体テスタ・メーカ,半導体IPベンダ,ソフトウェア企業などがあります.

 Intel社もエコシステム・モデルを利用しています.Intel社は単なるものづくりの企業ではなく,将来の情報産業を構成する重要なメンバであるということを見出しました.具体的には,製品イノベーションの枠を越えて,ユーザ企業の開発の現場,ユーザが対象としている市場,関連するソフトウェアなど,一連のエコシステムとして製品を設計する活動に転換しています(7)

 

●参考文献
(1) 畠山 重篤;森は海の恋人,pp.142-144,北斗出版,1994年10月.
(2) 柿沢 宏昭;エコシステムマネジメント,築地書館,2000年7月.
(3) 日本ベンチャー学会会報,2012年3月,Vol.57.
(4) Moore, James F.;The Death of Competition: Leadership & Strategy in the Age of Business Ecosystems,New York: HarperBusiness,1996.
(5) マイケル・ポーター;国の競争優位(下),ダイヤモンド社,1992年3月(1990年発行の原書の邦訳).
(6) DeLong, J. Bradford,"Why the Valley Way is Here to Stay",2000.
(7) 紺野 登;ビジネスのためのデザイン思考,東洋経済新報社,2010年12月.

 

やまもと・やすし

 

●筆者プロフィール
山本 靖(やまもと・やすし).半導体業界,ならびに半導体にかかわるソフトウェア産業で民間企業の経営管理に従事.1989年にVHDLの普及活動を行う.その後,日米で数々のベンチャ企業を設立し,経営責任者としてオペレーションを経験.日米ベンチャ企業の役員・顧問に就任し,経営戦略,製品設計,プロジェクト管理の指導を行っている.慶應義塾大学工学部卒,博士(学術)早稲田大学大学院.

 

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