携帯電話プラットホームは技術者を幸せにしたのか?(1) ―― 今は昔,戦国時代の開発現場
●CPUとソフトウェア構成を見直し
2000年初頭,携帯電話の液晶ディスプレイがカラーになり,電話機能のほかにインターネットの機能であるメールやブラウザが搭載されたころ,CPU構成が「無線制御」と,キー操作や表示などのユーザ・インターフェースを制御する「アプリケーション制御」の二つの構成に切り替えられた.このタイミングで,各携帯電話メーカはソフトウェアを再設計し,大きな修正を加えた.それは,携帯電話のソフトウェア開発に大きなピークを作ることとなり,さらなるソフトウェア開発者が必要とされるようになった.
開発するソフトウェアの量は,携帯電話に搭載された機能(メール,ブラウザ,カメラなど)の増加に伴って増えた.また,加入者の増加は,携帯電話に対する機能のニーズの多様化をもたらし,新機種を出すたびにそのニーズの一部から生まれたサービスに対応していったので,開発量はさらに増えた.
ソフトウェアの量が増えると,販売後の不具合も増えた.不具合報告の増加に歯止めをかけるため,キャリアは,製品の受け入れ基準としての試験の実施を携帯電話メーカに要求した.携帯電話メーカはこれに応えるために専門の検査・検証チームを立ち上げ,品質向上活動を本格的に開始した.
●品質向上活動が効果を上げる
このような動きの中で,携帯電話のソフトウェア開発部門に求められる内容も変化した.品質向上のために開発プロセスが定義され,PDCA(Plan,Do,Check,Action)サイクルを活用し,同じ間違いを犯さないことや,情報を共有して水平展開を図ることなどといったマネージメントも必要とされた.その結果,携帯電話が高機能になったにもかかわらず,不具合は減少した.
しかし,開発と検査の分業化が進むにつれて,開発エンジニアやテスト・エンジニアの数は増加していった.メーカは,いわば「人海戦術」によって問題を解決へと導いたのである.
◆筆者プロフィール◆
吉田 昌平(よしだ・しょうへい).1989年に株式会社アイ・エス・ビーに入社.主に国内メーカの交換機,基地局の通信プロトコル開発を経て携帯電話端末の開発に就く.その後,マーケティングも経験し,現在は社内外で技術的なサポートを行うほか,製品やソリューションの研究開発を担当している.