デバイス古今東西(56) ―― PID制御を超えて:TI社が発表したリアルタイム制御理論を考察する

山本 靖

tag: 半導体

コラム 2013年12月20日

 米国Texas Instruments(TI)社は,リアルタイム・マイコンC2000向けに新しい制御理論を用いたソリューションを提供しています.本コラムでは,まず簡単な制御の基本構造について触れてから,現代の制御理論について述べます.そして全世界の90%以上の制御系で利用されているPID制御と比較しながら,TI社製マイコン向け新制御ソリューションの特徴を探ってみます.


●制御の基本構造

 制御とは何でしょうか? 制御を簡単な構造から考えてみましょう.木村 英紀(1)によれば,制御の基本構造は,三つの基本構成要素から成ります(図1).制御対象,操作量,制御量です.制御量とは,操作から始まって制御された後の結果としての値になります.この制御量は,望ましいふるまいの量にならなければなりません.それを基準量と呼びます.つまり,制御によって制御量を基準量にできるだけ近づけなければなりません.

 

図1 制御の基本構造

 

 

 こう考えると,制御とは,「操作量を用いて制御量と基準量との差をなるべく小さくすること」ということになります.例えば,制御対象を自動車とするならば,アクセルの踏み込み量が操作量,その結果としての実際の速度が制御量,望ましい速度が基準量に相当します.

 この基本構造はとても簡単なモデルです.もう少しモデルを発展させるならば,外乱(disturbance)という現象を付け加えた方が,より現実の世界に近づきます.安定したシステム・生態系・世界を乱す自然現象とか,人工的な乱れなどです.こういった外乱が存在する中で,制御量と基準量との差をなるべく小さくする制御器があり,代表的な制御の方法として,フィードバック制御とフィードフォワード制御があります.

 フィードバック制御は,制御量を計測することで,制御量と基準量との差を制御器で制御して,適切な操作量を実現するものです(図2).フィードフォワード制御は,制御対象の特性をよく分かっていることが条件です.そして外乱が制御量を乱す影響も見越して,それを打ち消すような操作量を加えることで制御します(図3).

 

図2 フィードバック制御

 

 

図3 フィードフォワード制御

 

●制御対象の非モデル化とモデル化

 フィードバック制御は,制御対象や外乱といった制御系の実際の動きを見ながら,制御器の可変なパラメータを調節していくやり方です.つまり,試行錯誤がベースです.フィードフォワード制御は,制御対象を解析してそのモデルを求め,モデルに基づいて理論的に制御器を導き出す方法です.前者は制御器の直接調整による設計であり,後者は理論を用いた間接調整による設計です.また制御対象のモデルを使うか使わないかという点でいえば,前者はモデルを使わないモデル・フリー制御であり,後者はモデルに基づくモデル・ベースト制御といえます.

 モデル・フリー制御の代表例がPID制御です.P(比例),I(積分),D(微分)の三項動作に基づく制御システムです.誤差に比例した操作量,誤差の積分(過去の誤差の累積)に比例した操作量,誤差の微分に比例した操作量の三つの操作量にそれぞれ適当な重みを付け加えて加算された数値が,最終的な操作量となります.


●PID制御はデファクト・スタンダードだが問題点も多い

 PID制御は1930年代から使われ始め,現在でも最も広く使われている理論です.全世界の90%以上の制御系で利用されています.というのも,このPIDという理論自体はフィードバック制御上の有用なアルゴリズムとして実証されてきたからです.

 航空機のオートパイロット,モータ,油圧システムなどの各種機器,石油化学,自動車,紙パルプ,セメント,電力など各業種で,それぞれに特化したさまざまなパラメータの調整法が提案されてきました.それら制御の対象は時間の概念も含み入れた複雑な現象を引きずったシステムです.PID制御はそういったシステム系にも十分対応できています.

 しかし,PID制御は必ずしもベストなアルゴリズムとは言えません.なぜならば,PID制御は,外乱からの応答速度が遅い,制御性能の劣化の影響を受けやすい,そして何よりも,設定するパラメータ数が多くパラメータ調整に数カ月か場合によっては1年以上を浪費してしまう,という短所があるからです.もちろん制御対象に関する知識が不完全でも制御できるところは大きな長所ですが,経験,試行錯誤,直感などに頼らなければならず,モグラ叩きのごとく,たくさんの変数に囲まれながら最適な調整ができない,収拾のつかない混乱に陥るケースも多々あります.


●現代の制御理論はフィードバックとフィードフォワードの併用

 現代の制御理論では,フィードバックのほかにフィードフォワードを併用する方向にあります.つまり,制御対象のモデル化も行わなければならないということです.制御対象にどのような操作を加えれば制御対象がどう振る舞うかが予測できれば,確かに最適な制御ができそうです.

 ただ,制御対象のモデル化は簡単ではありません.モデルの精度を求めるならばより完全な情報が必要ですが,モデルは本質的に不確かさを避けられません.そこでフィードバックを併用して補完し,より制御を高めようというのが現代の考え方です.以前のコラムで述べた,米国Apple社のMacノートブックに利用されている「アダプティブ・チャージ技術」は適応制御(adaptive control)であり,これも現代制御理論の一例です.リチウム(Li)イオン電池の充電時間を短縮し,駆動時間と電池寿命を伸ばすことがApple社のねらいです.


●モータ制御系技術者を重労働から解放することができるか?

 モータ制御に限ってみても,やはりそのソリューションはPID制御が主流です.上述した通り,モータ制御系技術者は豊富な経験と特殊な専門ノウハウが必要です.数々の変数設定を行いながら,最適なモータ制御を設計開発する,という職人技です.こういった状況下でTI社は,PID制御に置き換わる新しい制御理論を駆使したマイコンと開発ツールをリリースしました.

 2013年4月に日本TI社は,「日本TI社,モーション制御と効率を向上,先進のモーター制御デザインを数分で実現するInstaSPIN-MOTIONテクノロジーを発表」というニュース・リリースを発表しています.その中に,「TIの『C2000』Piccolo 32ビット・マイコンのROM内に組み込まれたInstaSPIN-MOTIONのコア・アルゴリズムは,LineStream Technologies社製のSpinTACコンポーネンツを内蔵し,モーション・プロファイルの最適化,単一パラメータの調整および,外乱除去コントローラを搭載し,開発期間の短縮,速度および負荷の変化範囲に渡って性能を向上します」とあります.従来型のPID制御とは異なるようです.

 そして日本TI社の「InstaSPINモーター制御ソリューション」の情報から整理すると,この新制御理論の骨子は,まずフィードバック性能をサポートしているだけでなく,より精度の高いトラッキング機能をもたらすフィードフォワード性能も備えていること,システムの外乱をリアルタイムで推定し排除すること,外乱からの応答速度や制御性能の劣化の影響,低消費電力の実現という点で優れているということ,さらには,PID制御に比較してパラメータ調整がより簡便でありモータ制御の開発期間が短縮できるということです.

 主観的な印象ですが,この新しい制御理論の一部の機能を例えるならば,高級ヘッドフォンに適用されているノイズ・キャンセリング(周囲の環境音を内蔵のマイクロフォンで収音し,外部からヘッドフォンへ侵入する環境音を軽減する機能)に似ているように見えます.TI社の新制御がその主張通りであれば,モータ制御系技術者を重労働から解放する,とても有効なソリューションと言えましょう.



参考文献
(1)木村 英紀;「制御工学の考え方:産業革命は『制御』からはじまった」,講談社,2002年12月.

 


◆筆者プロフィール◆
山本 靖(やまもと・やすし).半導体業界,ならびに半導体にかかわるソフトウェア産業で民間企業の経営管理に従事.1989年にVHDLの普及活動を行う.その後,日米で数々のベンチャ企業を設立し,経営責任者としてオペレーションを経験.日米ベンチャ企業の役員・顧問に就任し,経営戦略,製品設計,プロジェクト管理の指導を行っている.慶應義塾大学工学部卒,博士(学術)早稲田大学院.

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