デバイス古今東西(47) ―― 米国のテレビ・メーカの終えんを振り返る,「RCAなくしてテレビ放送なし」

山本 靖

tag: 組み込み 半導体

コラム 2013年3月29日

 カラー・テレビ発祥の地は米国です.テレビ放送開始以来,巨大な米国の家電メーカが数多くありました.しかし1990年ころには,すべての米国のカラー・テレビ・メーカは撤退しました.

 ここでは米国のカラー・テレビ・メーカの終えんまでの過程を概観します.そしてなぜ,米国のベンチャ・キャピタルや金融関係者が,もの作りの代表とも言える民生用電子機器のハードウェアに対する関心をなくしていったのか,その理由を述べます.

 

●「RCAなくしてテレビ放送なし」

 かつて日本では,「RCAなくしてテレビ放送なし」と言われた時代がありました.昭和32年(1957年)にカラー・テレビ放送が開始されたころのことです.当時,カメラからマイク,VTR(Video Tape Recorder)などのスタジオ設備,送信機,テレビ受像機に至るまで,すべて米国のRCA(Radio Corporation of America)社の製品でした.カラー・テレビの受像機を製造していた米国メーカは,RCA社のほかにGE(General Electric)社,Zenith Electronics社,Magnavox社,Philco社,Sylvania社などがありました.

 1980年前後から,欧州で競争力をつけていた電機メーカのPhilips社やThomson社が米国メーカの家電部門の買収を進めます.そして1986年には純粋な米国のメーカはZenith社だけになってしまいました.

 1990年前後,テレビの世界市場の3強と言えば,Philips社,Thomson社,松下電器産業でした.最後に残った米国メーカのZenith社もテレビ部門はやがて韓国企業の傘下に入りました.カラー・テレビについては,米国企業は1990年代にすべて市場から撤退したのです.

 一方,日本のブラウン管テレビの産業は多少の特殊性があったと言えます.国策により,日本のカラー・ブラウン管製造メーカは限られていました.日立製作所,三菱電機,松下電器産業,ソニー,日本電気,東芝です.その他の日本の電機メーカは,日本または欧米のブラウン管製造メーカからブラウン管を調達し,テレビ受像機として組み上げなければなりませんでした.例えば当時,ブラウン管を製造したくても製造できなかったシャープにとっては,液晶テレビの一貫生産が悲願であったと推測されます.

 

●米国の電機メーカがコングロマリットに

 RCA社は1919年設立の老舗電機メーカで,ラジオ,白黒テレビ,カラー・テレビを開発した会社として知られています.かつてはGE社と並ぶ世界最大の電機メーカの一つでした.設立以来,当時の技術の最先端をいく,まさにハイテクの頂点にある会社でした.新しい技術を開発し,それらの多くを特許で押さえていたので,特許の使用料(ロイヤリティ)による収入は莫大なものとなりました.テレビを作っていた日本の電機メーカは,とてつもない金額の使用料を支払っていたはずです.

 RCA社の企業経営者は,徴収した莫大な収入を効率的に使いたいということで,会社の買収に乗り出しました.1970年代には,レンタカーで有名なHertz社,カーペットの製造・販売会社,書籍出版会社,冷凍食品会社など,本業以外のM&A(Mergers and Acquisitions;企業の買収と合併)を積極的に行い,コングロマリット(conglomerate)と呼ばれる複合企業体になりました.既に出来上がっている会社を買うので,売上を上げる労力は必要ありません.しかし,新規開発していたビデオ・ディスク以外のエレクトロニクス事業への投資に十分な資金が流れなくなりました.

 一方,日本のメーカの製造技術は徐々に確立していき,コスト競争力と収益力が向上していきました.そしてRCA社はビデオ・ディスク事業で頓挫します.さらにVTRが出てきた時には日本のメーカが圧倒的に強くなっており,RCA社の出る幕はなくなっていました.家電の雄であり,圧倒的な力を持っていたRCA社の技術開発力の低下は,まさに米国産業における民生用電子機器分野の凋落(ちょうらく)を象徴していました.

 1985年12月に,GE社はRCA社にTOB(Takeover Bid;株式公開買い付け)で買収されます.このころは,超大型TOBが開始された時期でもあります.当時のTOBによる買収・合併の総金額の歴代1位~4位はすべて石油がらみで,RCA社のTOBの金額は5位でした.つまり非石油の市場では当時最大のTOBだったのです.

 RCA社の買収金額は1兆4000億円でした(63億米ドル,当時のレートである222円/米ドル換算).米国最大の電機メーカ同士の合併は,例えていうと東芝と日立製作所が合併するようなものでした.

 

●コングロマリットから事業の棚卸へ

 コングロマリットとは,多種多様な業種の事業を営む複合企業体のことです.米国では1970年代に全盛期となり,1980年代に入ると終えんを迎えます.業種間の相乗効果による企業価値(株価)の向上が期待されたのとは裏腹に,各事業の収益の伸び悩みやコングロマリット・ディスカウント(企業全体の価値が,各事業の個別の価値の総和より低くなること)と呼ばれる企業価値の低下が発生したのです.RCA社も電機メーカからコングロマリットに変化した企業の一つです.コングロマリット経営が流行となっていたころには,GM(General Motors)社などの自動車会社,通信会社,化学品会社もコングロマリット経営を推進していました.

 一方,GE社は1983年ころからダウンサイジングへと大きく踏み出します.まずは成長性の低い部門を切り捨てました.そして次に,積極的なM&Aを通じて収益性の高い事業を残し,成長性の低い部門を切り売りしました.つまり,資本の効率化です.RCA社,GM社,ITT社,AlliedSignal社といった企業買収に積極的であった企業が「会社の寄せ集め」にとどまっていたのとは対照的でした.

 GE社はもはや電機メーカではありません.1981年に売り上げの50%以上を占めていた家電や電力機器などの電機部門の比率は徐々に低下し,金融・サービス部門が大きな利益を上げる「ハイテク・金融」企業に変身しました.これ以降,コングロマリットによる売り上げ至上主義から脱皮し,事業の棚卸しをしながら収益の上がる事業を残して成長性の低い事業は切り捨てる,という大胆な発想が定着しています.

 

●もの作りには忍耐強い投資が必要

 現在の液晶パネル事業は資本集約型の産業です.大量の資金を投入し続けないと最終的な勝者になれません.また,「選択と集中」も経営学の定説です.多額の資金を投じて液晶パネルへ「選択と集中」することそのものは間違っているとは言えません.液晶パネル事業について,世界中のどこを見渡しても大きな利益が上がっているところがない背景には,さまざまな,そして複雑な要因があると考えられます.そこはもう少し深掘りして検討しなければなりません.

 問題は,米国シリコンバレーのベンチャ・キャピタルや金融関係者の間で,もの作りに対する関心が薄れ始めているように見えることです.必ずしも実用化されるとは限らない研究開発,必ずしも市場投入のタイミングとマッチしない設計開発期間,ある一定量の仕掛品や在庫に対する資金負担(例えば,売上の3カ月分の資金がそこに凍結される),第三国の政府による支援や低コスト・インフラを使った製造に端を発するコスト低減への圧力など,もの作りの産業にはさまざまな問題があり,資本効率に関して非効率であると思われています.これは,極論するとマネー・ゲームに行き着いてしまいます.

 救いは,シリコンバレーのUS Venture Partner Partners(USVP)<http://www.usvp.com/>を始めとする多くの大手ベンチャ・キャピタルが,ハードウェアやソフトウェアの最先端技術を開発しているベンチャに対して,忍耐強く多大な投資を続けていることです.

 

 

やまもと・やすし

 

 

●筆者プロフィール
山本 靖(やまもと・やすし).半導体業界,ならびに半導体にかかわるソフトウェア産業で民間企業の経営管理に従事.1989年にVHDLの普及活動を行う.その後,日米で数々のベンチャ企業を設立し,経営責任者としてオペレーションを経験.日米ベンチャ企業の役員・顧問に就任し,経営戦略,製品設計,プロジェクト管理の指導を行っている.慶應義塾大学工学部卒,博士(学術)早稲田大学大学院.

 

 

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