製造現場との距離感と物作り力の衰退 ―― 物作りあれこれ(3)
「物作り力がなくなってきている」という嘆きがあちこちから聞こえてくる.日本は手先の器用さ,きめ細かい心遣い,加えて優秀な職人技で物作りを得意としてきたのではなかったか? なぜこのようなことになったのかという分析はさておいて,多くの人が指摘するように原因の一つが円高にあることは間違いない.国際的な価格競争力がなくなったことは確かだ.
価値観が一律であれば,誰だって安いものを選ぶ.その原理では「単価の安い労賃の国だけが生き残る」ということになってしまう.やがてはその国も経済的に発展し,労賃が高くなるだろう.今の中国と同様にである.生産拠点は,安いコストを求めてさまようのだろうか? そして日本国内は,物作りの風土が衰えて,どのような風貌になっていくのだろうか?
昔の話で恐縮だが,日本は,戦後の復興段階では何もない中から立ち上がってきた.昨日まで生死の狭間にあった人々が復員後は一転して,かつては敵国だった英米の知識をがむしゃらに吸収しようと努力し,会社を引っ張った.物作りについて意見がぶつかり合い,激しい口論がたえなかった.果ては「俺の方が大尉だから偉いのだ,だから従え」などという他愛のない発言まで出る始末である.階級意識まで表に出して子供じみた争いになったりするのだが,もちろん何の権限も伴わない.それほどまでに当時のメーカの人々は,物作りに人生の再生を期していたのである.
工場については,技術部門,デバイス部門,製造部門,生産管理部門,機工,メッキ/塗装など,生産に必要な各部門が一つの地域に集結していた.物作りの知識については,そこへ行けば怖い製造現場の班長さんを含めて全員が先生である.新入社員のころからこうした職人たちに鍛えられる.だから新人の技術者であっても自然に,物作りの奥義を会得できる環境が整っていた.
今はどうだろうか? 技術者は日本にいても工場ははるか彼方の外国だったりする.物は,製造現場といっしょになって作って初めて自分の物になる,という考え方は古いのだろうか.杞憂(きゆう)であればよいのだが,今後は物作りの過程や製造技術をまったく知らない,場合によっては自分の設計した製品すら目にすることのない技術者が出てくるのかも知れない.
海外生産の主な目的は,コスト削減である.「高くても良い物を...」というニーズは,物作りの世界にはなくなったのだろうか.そうは考えたくない.「価値観は一律ではないのでは?」といつも思っている.
むらやま・たけし
(株)テクノクリエート
●筆者プロフィール
村山 建(むらやま・たけし).日本電気(株) 伝送通信事業部 開発部門で一貫してデータ・モデムの開発などに従事.その後,技師長として十数年間,主として北米に駐在.帰国後に(株)テクノクリエート(http://www.techno-create.com/)を創設.同社社長として現在に至る.