ロータリ・エンジンを開発した町工場に見る技術者魂 ―― 日東工作所 更谷 雄三氏の講演より
20数年ほど前,学生だった筆者は,精密機械の部品加工会社に夏休みのアルバイトに行きました.そこでは,プレスや穴開けなどの複雑な工程を必要とする部品を作っていました.その工程の中に,複雑な形状の金具に電子部品(検知用のセンサ)を取り付けるという工程がありました.センサの取り付け位置がずれると検知精度が上がりません.つまり,取り付けの精度は,その部品が組み込まれる製品全体の性能を左右します.そのため,取り付けには大変厳しい精度が求められます.
もちろん金具には電子部品取り付け用の穴が空いており,そのまま部品を取り付けることもできるのですが,取り付け穴には調整用に多少の余裕がある(「遊びがある」という)ので,これだけでは全く精度が出ません.そこで,電子部品の位置を正確に取り付けるための道具(ツール)を使います.道具と言っても,複雑な形に削り出した金属のブロックで,それを加工物である金具に当てるとピタッとはまります.そして,センサを取り付ける位置にガイドの穴があり,そこにセンサを当ててセンサをねじ止めすれば,当時の筆者のような学生アルバイトでも,簡単に手早く取り付けることができました.
このように治具とは,機械加工などにおいて,熟練工でなくても作業を正確に効率的に行うために使う道具のことです.また,製作物が求められる精度で加工されているか,部品が求められる精度で取り付けられているか,などをチェックするための治具もあります.
多くの工場の生産現場では,その工場またはその分野で高い生産技術を持った,「○○の神様」と呼ばれるような技術者が存在します.そのような技術者が生産現場を支えています.しかし,現場の神様でも実現できない場合は,外部の治具設計業者に特注品として製作を依頼することになります.それも,単に図面を渡して作ってもらうのではありません.「この工程で,こういった位置決めをしたいので,良い治具が欲しい.なんとかならないか?」というように,非常にざっくりと注文します.要は,図面通りに「加工して」もらうのではなく,問題解決のための方法,すなわちアイデアやノウハウも含めて,丸投げでお願いするわけです.
さて,話を先ほどのアルバイト先の工場に戻します.複雑な形状の金具にセンサを正確に取り付けるための治具は,社内で製作するのは無理とあきらめ,社外の治具設計業者に作ってもらったそうです.その工程では,複数の人が同時に作業できるように,同じ形状の治具が何個かありました.しかし,社外の治具設計業者に作ってもらったオリジナルは1個で,他はその工場で加工したコピー品でした.オリジナルの治具で作ると部品の取り付け精度が高く,加工の不良もほとんど出ないそうです.一方,コピー品で作ると精度が上がらず,不良も多かったようです(多いとはいえ数%程度.だからこそ,繁忙時はコピーの治具も使っていた).オリジナルの治具の精度の高さと,製造現場に即した使いやすさは抜群でした.
この国には,このような治具を作る小さな会社があり,その一つが日東工作所である,というわけです.更谷氏の講演内容に戻ります.
●アイデアをばらしながら蓄える
更谷氏は,先代である父親からこの仕事を引き継いだとき,「こんなに大変な仕事はない.もし,治具の製作を依頼されて作っても,客先の要求を満たすことができず,納入できなかったらどうなるのだろう? お金はもらえるのだろうか? そう考えると恐ろしくて,恐ろしくて!」と感じていたそうです.なにしろ,発注者もその道のプロのはずです.そのプロがさじを投げた難題を「はい,はい」と請け負ってくるのですから....どんな難題であれ未踏分野であれ,請け負った以上は絶対に成功させなければなりません.そのためには,発想法を駆使したり,ブレイン・ストーミングをしたりして,できるだけ多くのアイデアを引き出す発想力注2が不可欠だそうです.
注2:ちなみに,発想力は訓練しないと発達しないようだ.発想を繰り返すことで,能力が向上するとのこと.
そして,仮に一つの問題解決に100のアイデアが出たとします.実際にその問題解決に使うのは,ベストの1個のアイデアだけかもしれません.そうすると,残りの99個のアイデアはむだになるかというと逆で,それこそが貴重な知的財産になります.
治具は形があり目に見えるものなので,完成品を発注主に渡した時点で,アイデアという知的財産を外部にばらしていることになります注3.当然ながらそのアイデアは,納品(イコール知的財産の公開)でお金になります.そして,残りの99個のアイデアを大切な知的財産と認識してきちんと蓄積しておくことが,後々の別のしごとで効いてきます.銀行は,納品した目に見える「製品」にしかお金を貸してくれないことが多いのですが,「目に見えない財産」の蓄積こそが,長い目で見れば貴重な資産なのだそうです.
注3:知的財産をばらすとは言っても,筆者の昔話で書いたように,他社では実現できない加工精度とノウハウが必要なものであれば,形(アイデア)を見せてもたやすく真似はできない.