拝啓 半導体エンジニアさま(38) ―― ルネサスのSmart Analog,使ってみて初めて良さも限界も分かるタイプのデバイスではお試しキットやツールの提供が重要
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コラム 2012年7月 3日
前回は,ルネサス エレクトロニクスの再建策の報道をもとに,「リストラ」などの厳しい話題を取り上げました.今回は,同社のWebサイトを見ていて,一つ面白そうなデバイスを発見したので,それを取り上げます.これは「Smart Analog」という製品で,昨年(2011年)11月に発表されていたのですが,筆者は最近まで見過していました.
●ルネサスからアナログ・コンフィギャラブルなLSIが登場
身も蓋もない言い方をしてしまうと,米国Cypress Semiconductor社の「PSoCマイコン」の二番煎じ(失礼!)と言ってしまってもよさそうな製品です.要はアナログ回路部が「コンフィギャラブル」なLSIです.「ディジタルなFPGAのアナログ回路版みたいなもの」といったら理解していただけるでしょうか.FPGAとは異なり,基本のコンポーネントは何種類かのOPアンプであり,“配線(ルーティング)”を適当に変更することで所望の回路にプログラムできるわけです.
Cypress社以外にもアナログ・コンフィギャラブルなLSIを出荷した会社はいくつもあります.しかしその中で,ユーザが手元で回路構成をプログラムできるアナログ回路とディジタル回路,そしてマイコンを使いやすく集積したPSoCマイコンは,マイコンとしては後発ながら,それなりの地歩を固めるに至っています.アナログ回路としての性能を追い求めるというよりは,コンピュータの上でアナログ回路まで含めたすべてのシステムを設計してしまって,手軽に1チップ化できるところが受けたのではないかと想像しています.
PSoCマイコンはCQ出版社の書籍でも取り上げられているので,実際に手にして遊んでみた,という方も多いのではないでしょうか.Smart Analogというのは,"PSoCマイコンのルネサス版"といった感じのデバイスです.ルネサスの場合,マイコンと集積したものだけでなく,マイコンを除いた単体のLSIとしても販売しているようです.
●USBスティック型の廉価版評価キットを提供
2012年6月にはSmart Analogを開発するためのWebベースのツールがリリースされました.Webベースの開発ツールは,米国のアナログLSIメーカ各社が提供しており,その便利さを体験されている方も多いと思います.ブラウザの上でクリクリやっていくだけで,いろいろなケースを試せるので,なかなか良いものです.また,スタンドアローンのツール・チェーンもあるようです(ネーミングがPSoCマイコンの開発ツールと似ているのは,ご愛敬).
ルネサスの取り組みで筆者がうれしかったのは,PSoCマイコンと同じように,USBスティック・タイプの廉価版の評価キットが売られていることです.これを開発した担当部署の人は,かなりPSoCマイコンを意識しているのに違いありません.プロモーションのために,ほぼ同等のセットをぶつけてきている感じです.筆者もPSoCマイコンの廉価版の評価キットはいくつか購入して「遊んでみた」くちです.少々早いですが,夏休みの「ちょと遊んでみる」材料としてSmart Analogに触手が動きました.見れば部品の通販で有名なお店で購入できるようです.後で購入してみるかとも思い,とりあえず通販サイトを見てみました.
しかし,その通販サイトに行ってちょっと気になったことがあります.一時期品切れとなっていたようですが,これは人気があるということで悪い話ではありません.しかし,その後入荷した少数在庫がたぶん最後,みたいな説明がなされていました.せっかくのお試しキットなのに,もうこの先は販売されないのでしょうか? それとも別の,もっと良い廉価版キットが企画されているのでしょうか?
急ぐわけではないので,改良版が出るのならそちらのほうが良いのですが,もう廉価版キットの出荷は止めてしまって,この頃はだいぶ安くなったとはいえ,かなり高価な純正の評価ボードや書き込み器を買ってくれ,ということなのでしょうか? そうなると,「ちょっと遊んでみる」というわけにはいかなくなります.そのあたりのスタンスが,公開されているWebページからはよく分かりませんでした.
ユーザの勝手な意見を言わせてもらうと,廉価版の評価キットはあったほうが良いと思います.メーカ側とすれば,お試しキットなどは,とりあえず「遊んでみる」程度の冷やかし客(筆者のような...)が多くて,すぐには売上につながらない,そのわりにいろいろと面倒くさい,ということがあるかと思います.このご時世で,そんなオモチャのようなものにかかわっていないで,大量受注が見込める大口顧客や潜在顧客への営業に集中するべきだ,という意見もごもっともです.
しかし,Smart Analogのようなデバイスは,使ってみて初めて良さも限界も分かってくるたぐいの製品ではないかと思います.すそ野を広げ,ファンを確保していかないと,盛り上がっていかないのではないでしょうか.次のプロジェクトでどのデバイスを使うか,となったとき,エンジニアはなるべく使い慣れた(親しみの持てる)チップを選択するものです.
ルネサスでこの製品を企画・開発されている方は,そういうことを重々承知だからこそ,Webベースのツールを提供したりしているのだと想像します.またルネサスの場合,きちんとアクションを起こしているだけまだ良い方ではないかと思います.
●ユーザを囲い込める開発ツールは"攻め"の手段
つねづね筆者が感じているのは,日本の半導体メーカはお試しキットなどはもちろん,開発ツールなども,チップを売るための"必要悪"的なものと考えているのではないか,ということです.ツールなしでチップを売れるのなら,なしにしたい,みたいな....最近は,無償であっても良質な開発ツールがたくさん出回っています.そのせいもあって,有償にできた場合でもせいぜい実費程度でしか売れないものに,多大な労力とお金をかけられない,という考えに傾いてしまっているのではないでしょうか.
ユーザが手元で回路構成をプログラムできるSmart Analogのようなデバイスはもちろん,一般のマイコンでも,開発者が実際に向き合って多くの時間を割いているのは開発ツールを使った作業です.開発ツールが良いからこのシリーズのマイコンを使い続けている,といった感覚の開発者の方を筆者は何人も知っています.
実際,一つの開発環境を使い始めると,いろいろな技術の蓄積やノウハウができるもので,そう簡単には乗り換えられなくなります.そうなってくるとLSI製品というより,LSI製品の開発環境に縛られてそのLSIを使い続ける,というようにも見えてきます.
また,開発者のツールへの慣れは,設計生産性や設計品質に直結しているように思います.新しいツールを使い始めて,バグを作ってしまったり,なかなか性能を目標値へ追い込めなかったりしたことはありませんか?
どうも良いツールや面白いツールを仕掛けてユーザを囲い込んでいるのは,海外のメーカに多いように思われます.そこでは無償のツールは"攻め"の手段となっているようです.一方,日本の半導体メーカの多くはLSIを売るために必要最小限のツールを準備する,という受身の姿勢に見えます.このあたりが,セミカスタムLSIが激減し,汎用品中心に戻ってしまった市場で日本のメーカの存在感が薄れている一つの原因のように思えます.
そのような中で,開発ツールがなければ始まらないSmart Analogのような製品に取り組んでいるルネサスにはエールを送りたいものです.
ジョゼフ・はんげつ