デバイス古今東西(26) ―― 納期短縮のために何をするべきか:人月の神話と日本企業の強みをもう一度考える

山本 靖

tag: 半導体 電子回路

コラム 2011年6月24日

 エレクトロニクス製品の設計開発工程における「効率化」の目指すところは,要求仕様に記された製品性能を犠牲にせずに,設計開発期間の短縮と開発コストの低減を実現することです.しかし,ただやみくもに人材を追加投入することで設計開発期間を短縮させようとすると,そのプロジェクト自身の設計開発期間が長期化するうえ,コスト負担が増加するというのが定説になっています.本コラムではまずその定説について触れ,日本の自動車メーカが実践している納期短縮の手法について述べます.

●人材の追加投入は逆効果

 製品の設計開発を迅速に行うことは,企業が競争優位に立つ上で有効です.特にエレクトロニクスのように市場競争が激しく,プロダクト・イノベーションが要求される製品を設計開発しなければならない状況下では,企業は設計開発にかかる時間を短縮させるための努力を惜しみません.市場投入の遅れが売り上げに影響を及ぼすからです.

 多くの人は,納期を短縮させる方策として,まず人材を追加投入して速成させる突貫作業を考えます.しかし,計画より遅れているソフトウェア・プロジェクトに人材を追加投入すると,プロジェクトがさらに遅れることを,「IBMのシステム/360の父」として知られているFrederick P. Brooks, Jr.は観察していました.

 古典的書物である『人月の神話』(1)の中でBrooksは,ソフトウェアの生産性において格段の向上をひとりでにもたらすようなプログラミング技法は登場しない,すわなち「狼人間を撃つ銀の弾はない」と挑発的に述べています.

●人材投入で負荷とコストの双方が増加する

 昨今のエレクトロニクス製品の開発は,積み木を積み上げるような簡単なプロジェクトではありません.製品開発に占めるソフトウェア設計は多くなり,プログラミング技法は欠かせません.一方,ハードウェア設計も回路図を利用して設計する機会が減り,ハードウェア記述言語を使ったプログラミングで行うようになっています.つまりBrooksの主張は,一般的なエレクトロニクス製品開発にもあてはまると言えます.

 Brooksの主張は簡単な数式で検証できます.例えば一つの業務(task:タスク)をn人で作業させることを考えてみましょう.一つのタスクをn人の人材に分割して作業させると,人材間の1対のコミュニケーションの負荷はn (n-1)/2の割合で増加します.つまり人材リソースが増えるに従って,人材間のコミュニケーションの量が増大するので,1人当たりの生産性は低下します.従って,このコミュニケーションの負荷の問題を解決するために新たな人材やほかの経営資源の投入が行われ,その人材や経営資源追加のコスト負担が生じるということにつながります.これは経済学で言う収穫逓減の法則の現象です.単なる人材資源を追加投入して速成させる突貫作業は,納期をいっそう遅延させるだけでなく,コストも増加させます.

●納期を短縮させる方法その1:オーバラップ手法

 納期を短縮させる方策としては,オーバラップ(overlap)手法があります.オーバラップは,順序が決まっている逐次処理(sequential)型の作業それぞれを部分的に重ね合わせることで同時並行的に進行させることです.つまり,本来,あるタスク(task)が終了してから次のタスクを開始する逐次処理型の作業を,タスクが終了する前に次のタスクを開始するように変更することです.この方策によりタスクを前倒しできるので,納期を短縮できます.しかし各タスクは事前に終了しているタスクの情報のすべてを得ずに次のタスクを開始するので,予期せぬ問題が各タスクで持ち上がってしまいます.これが頻繁に手戻り修正を引き起こし,追加のコスト負荷が生じる場合があります.

 研究開発の過程はオーバラップの一事例と言えます.研究開発はそもそも不確実性の世界で取り囲まれており,試行錯誤的な過程をとらなければなりません.研究開発の過程で成果のアウトプットを早めようとすると,誤認や追加作業を招いてしまう場合があります.

●納期を短縮させる方法その2:フロントローディング手法

 納期を短縮させる方策としてはもう一つ,フロントローディング(frontloading)手法も知られています.フロントローディングは,設計上の諸問題を製品開発のより早い時期に認識し解決することによって,開発期間とコストの削減を図る戦略です.フロントローディングは,日本の自動車企業が開発生産性において欧米企業より過去20年間常に優位にあった理由の一つだとされています(2)

 1980年代,日本の自動車メーカの製品開発は,米国の企業と比較してかなり柔軟かつスピーディに行われていました.また1990年代中盤からは特に,大幅な開発期間の短縮に取り組んできました.欧米企業に比べて日本企業の開発工数は少なく,コンセプトの検討開始から発売までの期間も短いと言われています.さらに,欧米企業に比べてプロジェクト・メンバの数が大幅に少ないそうです.技術者の職務範囲が広いことが一因です.開発の所要コストは,人的経営資源の面でも低減できています.日本の自動車企業は,欧米企業よりも常にフロントローディングがよりうまくできていたと言えます.

●なぜフロントローディングが日本の自動車メーカでうまくいったのか

 前述したオーバラップとフロントローディングはともに設計開発作業の前倒しであり,設計開発の作業を重ね合わせて同時並行的に進めていく点では同じです.しかし,研究開発過程がオーバラップの本質を表しているなら,オーバラップ型開発とフロントローディング手法には,問題が事前に予測しうるものか否かという状況の違いがあります.つまり,フロントローディング手法はオーバラップのフロントローディング化,すなわち部門間のコミュニケーションの進展であると言えます(3).米国の企業と比べて日本の自動車メーカは,技術者間の相互信頼関係や協調性,柔軟な態度,目標の共有化といったコミュニケーションの面で優れていたと言えます(4)

参考文献
(1) Frederick P. Brooks, Jr.(原著), 滝沢徹・牧野祐子・富沢昇(翻訳);『人月の神話―狼人間を撃つ銀の弾はない』,ピアソン・エデュケーション,2002年.
(2) 藤本 隆宏,延岡 健太郎;『製品開発の組織能力:日本自動車企業の国際協力』,RIETI Discussion Paper Series 04-J-039,経済産業研究所,2004年.
(3) 竹田 陽子;プロダクト・リアライゼーション戦略 -3次元情報技術が製品開発組織に与える影響,白桃書房,2000年.
(4) 藤本 隆宏,延岡 健太郎,青島 矢一,竹田 陽子,呉在恒;「情報化と企業組織 ―― アーキテクチャと組織能力の視点から」,奥野 正寛,竹村 彰通,新宅 純二郎編,『電子社会と市場経済』,新世社,2002年.

 

やまもと・やすし

 

◆筆者プロフィール◆
山本 靖(やまもと・やすし).半導体業界,ならびに半導体にかかわるソフトウェア産業で民間企業の経営管理に従事.1989年にVHDLの普及活動を行う.その後,日米で数々のベンチャ企業を設立し,経営責任者としてオペレーションを経験.日米ベンチャ企業の役員・顧問に就任し,経営戦略,製品設計,プロジェクト管理の指導を行っている.慶應義塾大学工学部卒, 博士(学術)早稲田大学院.

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