拝啓 半導体エンジニアさま(20) ―― 長期低落傾向が続く日本半導体,その端緒はバブル崩壊以前にあり

ジョセフ 半月

tag: 半導体

コラム 2010年12月27日

 21世紀の最初の10年が終わります.こと半導体業界について思い起こしてみると,21世紀に入る10年前に想像していた21世紀と,21世紀に入って体験したこの10年は,だいぶ様子が異なっていたように思います.今年の年末に入ってからも,例えば東芝の半導体工場の再編などがニュースになっています.これそのものは経済合理性に基づく企業判断でしょうから,外野がとやかくいうような事ではないと思います.しかし,半導体については「日本最強」の東芝ですら,システムLSIなどは負担の大きすぎる事業になってしまっているのだなぁ,ということが伝わってきます.ずるずると日本の半導体産業の地盤沈下が進んでしまったのが21世紀の最初の10年だった,と総括してもよいのかもしれません.

●日本半導体凋落のトリガは「日米半導体摩擦」

 振り返ればバブルのころは「21世紀は日本の時代」などと浮かれていて,半導体業界も,「日本の半導体が世界を制覇する」つもりだったので,その予想の大はずれっぷりにはがくぜんとしてしまいます.バブルの崩壊や,今も進む円高などの経済情勢に飲み込まれてしまった,と言えばそれまでなのですが,個人的には,日本の半導体が現在のような情勢になってしまったのは,どうもバブル崩壊以前にその端緒があるように思えてなりません.

 そこまでさかのぼると,若い方々にとって,これからの話はもはや歴史の一部でしょう.筆者が日本半導体凋落の「トリガ」,あるいは「転機」になったと思うのは,(聞いたことのない人もいるのでしょうか?)「日米半導体摩擦」の一件です.

 勝手な見地でかいつまんで説明すると,「そのころ日の出の勢いだった日本の半導体業界が商売を広げすぎたせいで,米国の半導体産業が壊滅しかけ,慌てた米国政府が他分野の経済制裁などもチラつかせながら日本から譲歩を引き出し,米国の半導体業界を守った」という事件です.当時の為替レートは1ドル150円~2百数十円くらい,半導体業界の規模も今より1けた以上小さかったかように思います.これが,その後の日本の半導体産業の,もしかすると電子産業全体の方向性に根深い影響を与えた結果として,今があるように思うのです.そのときの「対応の仕方(政策)が非常にまずかった」のではないか,と.

 そのときどのような対応がなされたかと言えば,日本の電子産業全般にわたって「米国製半導体の購入目標比率を決めて米国製半導体を買う」というものでした.半導体は「重さで量っていくら」というようなものではなく,それぞれ機能や性能が皆違うのですから,それを十把ひとからげにして何%(おぼろげな記憶によれば数%のレベルではなく,数十%だった)買うというのは,非常に乱暴な目標設定です.

 当時の対立の構図は,「傘下に半導体部門を抱えている上,半導体の消費家でもあり,米国への輸出でもうけている面もある日本の大手電機メーカ」対「ベンチャ中心で規模の小さい半導体専業が多数の米国半導体産業」でした.規模の大きな日本の電機メーカが米国産半導体を「いくらか買ってやれば」,ほかにもいろいろとあった経済摩擦を軽減できる,ということで,官民が足並みをそろえて米国半導体を「無理やりにでも」買ったわけです.当時の半導体のビジネス規模など今と比べるとはるかに小さかったので,そのくらいの金額で「規模の割りには声が大きい」と米国内でも言われていた当時の米国の半導体業界をなだめられれば良し,ということだったように思います.

●購入できるものの偏りがその後の日本勢低迷の病根を育てた

 この目標の達成はなかなか困難だったようです.なんといっても当時の米国の半導体産業は弱体で,品質もあまり良くなく,同じ買うなら安くて品質の安定した日本製が好まれたからです.しかし,目標を達成しなければならない,ということで,プロセッサに代表される米国企業が強い製品群を購入する,ということでなんとか目標を達成しようとしたのだと記憶しています.もともとは単なる金額の数値目標だったのですが,購入できるものが限られていたので,技術的に特定の方向へバイアスがかかってしまったのですね.日本の半導体企業はいろいろな分野に手を広げていたので,米国勢に持っていかれる分野があっても,売り上げ的には何とかなったのです.それどころか,まだ半導体産業そのものが右肩上がりで伸びていた時期なので,表面的にはたいした問題になりませんでした.

 しかし,深いところでは,そのおかしな技術的バイアスが病根を育てていったように思います.その後,米国の半導体業界は,成長の糧となるような新しい技術分野に展開していきました.一方,日本の業界は,「世界制覇に手が届きそうな」肝心のタイミングで将来発展する分野へ切り込む勢いを失ってしまったように思います.新規の成長分野へ切り込むときには,気合とスピードが重要です.いくら技術や資本があっても,勢いがなくては,対応が後手後手になってしまいます.

 インターネットや携帯電話の世界がこれから立ち上がろうかというまさにそのときに,勢いづくことができなかったのは,非常に残念に思われます.気がつけばパソコン産業とともに台湾の半導体産業が勃興し,米国と台湾の分業の中で日本のコンピュータ・ハードウェア業界は空洞化してしまいました.ネットワークも携帯電話も,やる気があり,キーとなる要素技術も持っていたわりには,世界を牛耳ることができず,徐々にマージナルでローカルな存在になっていったように思われるのです.

 何がどう転ぶのかは分からないので,「あのとき別の政策で話がついていたら...」というのは,言っても詮ないことでしょう.ただ,「なんとかせにゃならん」と急いでつじつま合わせをした「小さな決定」が,後世に思いも寄らぬ副作用を残した事例なのではないか,と思っています.

 

ジョセフ・はんげつ

 

 

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