拝啓 半導体エンジニアさま(15) ―― iPhoneのアンテナ感度問題にみる消費者向け製品開発の課題
米国Apple社のスマートフォンである「iPhone 4」のアンテナ感度の問題についての報道を読んでいて,いくつか気がついたことがあります.多分ほとんどの報道は消費者視点からなされたものだと思うのですが,製品を作るエンジニア側から見ていても,いろいろと考えさせられる問題でした.
●設計とは,複数の制約事項の間のバランスを考えること
回路図や測定データといった客観的情報を確認したわけではなく,一般レベルで報道された記事などを読んだだけなので,的外れなところがあるかもしれません.個人的な最初の感想は,やはりエンジニア視点になってしまいます.「考えられる物理現象どおりの症状」に思えて,特段の驚きは感じませんでした.
筆者は携帯電話のアンテナ設計の専門家ではないのですが,アンテナという物理的な素子の性格を考えれば,複数のアンテナが狭いところに隣接していて,なおかつ近傍にいろいろと物理特性の異なる材質(人の手など)がやってくるのであれば,その影響があるのは必然ではないかと思います.そのことにアンテナ設計の専門家が気がつかないわけはなく,Apple社の筐体についてもそれなりの評価を行い,「普通の使い方」で「この程度」の変化は許せる,と内部で結論付けて製品化したのだと思います.そのような評価も行わずに製品化することは,普通の会社ではありえないですし,Apple社もそうでしょう.
そのとき,「デザインを優先するあまり,アンテナ感度の問題を後回しにして冒険的な設計を行ったのだ」という批判はあると思いますが,設計者からすると,設計というのは「そういうトレードオフそのもの」だ,という思いもあります.すべてのパラメータを十全に満たせる設計というものはありません.あるパラメータを右に振れば,ほかは左に振れます.そのため,物理現象から電子回路へ課される不可避の制約事項がいろいろと存在します.これらのバランスをどのあたりでとるかを見定めることが,設計者の仕事だと思います.
当然,感度や通信の信頼性が最優先の目的であれば,ゴツイ装置を設計するでしょう.一方,消費者の好むデザインを優先すると,そのしわ寄せがどこかに出ます.どのあたりでバランスをとるかは市場を見て決めることで,その決めたバランス点の設定そのものが製品の特性になります.その特性が自分の目的やし好に合っているか否かということはあるのでしょうが,単純な「良い」,「悪い」という問題ではないように思います.
●専門家と消費者の「感覚」のズレが問題に
多分問題は,内部で「許せる」と思ったレベルの製品を市場に出してみたら,それを「許せない」と感じた人が結構いて,その話が大きく広がってしまった,ということではないでしょうか.内部では専門家が計測器を使って数値的に評価し,いろいろな要因と装置の性能を勘案して,この場合にこの程度の影響があったとしても,(内部で持っている)評価基準の範囲内だ,という論理で判定したと思うのです.多分こうした評価項目はうんざりするほど多く,今回の問題の項目など,そのごく一部でしかないと思います.ところが市場では,装置が表示する簡易的な受信感度を手がかりに,だれでも「再現実験を行いやすい」特定の評価項目が問題となったのではないでしょうか.ここにあるのは,専門家とユーザの感覚のズレです.
ユーザの中には,せっかく買った製品の性能がちょっとでも落ちるというのは許せない,と考える人もいるでしょう.今回の問題から,消費者向けの製品の場合,このようなユーザの「感覚」に,作る側の評価基準も積極的に適合させていかなければならない,ということが痛感されます.
作る側の評価については,設計するチームとそれを評価しテストするチームは別々の場合が多いと思います.すると,どちらのチームも専門家の集まりなので,客観的,工学的な評価基準をインターフェースとして仕事を行ってしまい,数値化しにくい消費者の「感覚」まで盛り込んでいるようなことは珍しいのではないかと思います.
もちろん消費者向け製品では,ユーザ相手に商品モニタ的な情報収集がなされることは多いと思います.その場合,売りになっている新機能に対する評価とか,使い勝手のようなポイントを調査することが多く,一般消費者のモニタで「不具合」を見つけようというような視点はありえません.機能・性能評価はそれ以前の段階の話だからです.
それゆえ今後は,機能・性能評価段階における専門家の評価基準の中にも,積極的に「消費者感覚」を盛り込んでおかないと,危なっかしくて消費者向け製品を開発できない,という気がします.かといって,あまり保守的になりすぎると,つまらない製品になってしまって消費者からそっぽを向かれてしまいます.どういう盛り込み方にするのか,難しいかぎりです.
●Apple社だけの問題ではない
しかし,それにつけても思うのは,ネット時代の「水に落ちた犬は叩け」的なバッシングの集中の速さです.確かに,ほかの会社のことをうんぬんしたApple社の対応は「いさぎよくない」印象を与えてマイナスだったように感じられます.内輪の技術会議で他社製品の性能を議論するのは構わないのですが,自身の責任が問われているときに,「よそもそうだ」的な言い訳は,火に油を注ぎます.
けれどよく考えてみると,この問題は「先進的(冒険的)な」アンテナ設計を「やってしまった」Apple社にとどまらず,他社にとっても無視できない問題だと思います.物理現象としてのアンテナの動作は,どこの会社が作っても自然法則の束縛を逃れえず,専門家からすれば「当然の制約の範囲内の許せる動作」を,なんどき消費者が不具合だと「感じる」かもしれない,ということなのですから.
これは別にアンテナだけに限りません.短い設計サイクルの中に「消費者感覚」を盛り込んで評価・テストしていく体系的な方法が必要とされているように思います.
ジョセフ・はんげつ