拝啓 半導体エンジニアさま(3) ―― タイマIC「555」のように人々の記憶に残るデバイスを設計してますか?
アーキテクト(建築家)というと,仕事がらついITアーキテクトとか,プロセッサ・アーキテクトとかの方に頭が行ってしまうのですが,建物の方の本義の建築家はうらやましいなあ,と思うことがあります.ル・コルビジエのような大建築家に限らず,有名であろうと無名であろうと,建築家の仕事はほとんどの場合,数十年間は残るからです.まれにはメンテナンスされながら数百年,あるいは千年以上も残るものがあるのはご存知のとおり.そんな仕事は建築家冥利(みょうり)につきる,といえるのではないでしょうか.反面,「失敗作」であっても建ててしまったものは何十年も残る可能性がある点は,ちょっと辛いところがありますが・・・.
● 半導体デバイスの短命な製品寿命
「それにひきかえ・・・」,とうらやましく思う理由を書いてしまいます.
半導体デバイスの製品寿命の短さはどうでしょう.最近こそ不況のせいでちょっと減速しているような傾向が感じられるものの,「ドッグ・イヤー」などという言葉がかまびすしかった頃のシステムLSIなどというものは,せいぜい半年,下手をすると三カ月なんぞという「賞味期間」で,次々と新しい品種に置き換わっていきました.まあ,搭載してくれる最終製品の製造期間が1年にもみたず,その製品そのものも1,2年もすれば買い換えられてしまうような状況だったので,しかたがない,といえばそのとおりです.だいたい半導体は部品なので,あまり表に出て自己主張するようなものでもなく,使ってくれている最終製品しだいなのでしょう.
しかし,それにしても自分の設計したICを搭載した製品が,ほんのひとときは市場に出るにしても,すぐに消えてしまうというのは寂しいものがあります.
● 今も記憶に残るSignetics社の「555」
ムーアの法則に従って,次々と集積度が上がり,それに応じた新たな設計が求められるというのが半導体のネイチャであるのだから,「数十年も残る」ということは半導体デバイスの世界ではあり得ないようにも思われます.けれど,「なにかないか」と考えてみれば,ないこともないのです.
例えば,「555」などは,そんなICじゃないでしょうか.いわずと知れたアナログの「タイマIC」です.初めての電子工作は555だった,という人も多いでしょう.そして,初歩の電子工作でLEDを光らせるためから,「おもちゃ」,「電飾」,そして「高度な応用」まで,数知れない「組み込みアプリケーション」にいまだに現役で使い続けられているデバイスです.もちろん,秋葉原へ行けば店頭で気軽に買うこともできます.多分,1970年前後に開発されたのだと思うので,それ以来,もう40年くらいはずっと使われ続けているはずです.
開発元は米国のSignetics社でした.この会社は,そうとうな昔にオランダのPhilips社に買収されたと記憶しています.買収したPhilips社の半導体部門そのものが分社化してNXP Semiconductor社と名前を変えたりしているので,組織としての実態はもう残っていないのではないかと想像します.しかし,業界の誰かに「Signetics」と問いかければ「555」という返事が返ってくるくらい,ある意味,555が生き残っているおかげでみんな(といっても年寄りですが)の記憶からは消えない会社です.Signetics社もいろいろ立派なデバイスを作っていたと思うのですが,残念ながらその多くはすでに忘れ去られています.ただ,555という,Signetics社にしたら「傍流」のはずだったデバイスのおかげでいまだに人々の記憶に残り,また,実際にはセカンド・ソース品であるにしても,その仕様と設計は生きのびていていて,現役としてわずかではあるかもしれないが「世界」を支える役に立っているというのは,すばらしいことだと思います.
● 買収でも消えないブランド力が半導体デバイスにあれば?
555とSigneticsのような「幸せな」ケースは稀かもしれません.70年代以来,シリコンバレーで創業した半導体ベンチャ企業は数知れませんが,成功して残っている会社より,なくなってしまった会社の方がはるかに多いはずです.中には買収された会社もありますが,買収には「統合」,「再編」という過程がつきまとい,すでに「歴史的」使命を終え,忘れ去られている会社の方が多いように思われます.結局,買われる前の社名と型番で売られていたデバイスが「退役」し,買った会社の後継機種に引き継がれていくころには,世間も前の会社のことは忘れてしまうのでしょう.
日本でもときどきそういうことがあるようです.こんなことを書くと失礼かもしれませんが,今まさにそのような状況になりかけているのは,ロームに買収されたOKIセミコンダクタ(沖電気工業の半導体部門)でしょうか.まあ,どんな形で実際に「統合・整理」をつけていくのかは野次馬である筆者には分かりません.しかし,OKIセミコンダクタの顧客がずっと今のままの「古い名前の」製品ラインを使い続けるということもないでしょうから,いずれはロームの名を冠した後継機種か,あるいは別の会社の製品に移って行くことになるのでしょう.
さて,OKIセミコンダクタに「555」のような設計はあるでしょうか.多分,まだ今はそういうものがあるのかないのか見分けがつかないように思われます.10年,いや5年もすれば,そのようなデバイスがあるのなら,砂の中の砂金の粒のように,砂が流れた後に残って輝くのだと思います.そんな後になって名が残っても実入りはないので,「それでは遅い」と言われるのかもしれませんが,デバイス設計者の冥利などというものは,そんなところにあるような気もしています.
しかしそれよりも,短命ですぐに消えてしまうような仕事に追いまくられていても,仕事があるだけまし,と思っていた方が良いのでしょうかね?