情報技術の先にある人間の能力拡張を見すえて ―― 国立情報学研究所 オープンハウス 2012

●技術は人間を幸せにする

　技術によって可能となるのは，さまざまな視点を得ることにとどまらない．例えば，幸せになるための技術も存在するという．

　「人間は幸福だから笑うのではない．笑うから幸福なのだ」とは，米国の哲学者・心理学者であるWilliam James氏の言葉である．これは，1988年に発表された心理学の実験（ボールペンを唇でくわえたグループと歯でくわえたグループに対して，同じ漫画を見てどちらのグループがより愉快さを感じるかを調べたもの）などでも実証されている^（1）．そこで，暦本氏の研究室では，日常生活の中で積極的に笑顔を作ることを促進するシステム「Happiness Counter」を開発した．

　具体的には，笑顔認識機能付きのディジタル・カメラを用いて，笑顔を認識するとスマイル・マークを表示する装置を作成した．これを洗面所の鏡の裏に組み込むことで，人間が鏡の前に立つたびに笑顔を作るよう習慣づけることができる．さらに，冷蔵庫の扉や会議室の扉を，笑顔を作らないと開けられないようにすることで，より強制的に笑顔を作る習慣を付けられるという．笑顔を作る回数が増えればより自然な笑顔を作れるようになり（写真6），会議室に入る前に笑顔を作れば，会議の雰囲気がより良いものになることが期待できる（写真7）．

写真6　笑顔を作らないと冷蔵庫を開けにくくしたシステムの被験者の笑顔の変化
実験を始めて10日目のほうがより自然な笑顔になっている．

写真7　笑顔で入室した会議室でのディスカッションのようす（イメージ）

●技術は建築をプログラマブルにする

　技術によって，建築もプログラマブル（再構成可能）にすることができる．例えば，電圧をかけない状態では不透明で，電圧をかけると透明になるPDLC（Polymer Dispersed Liquid Crystal；高分子分散型液晶）という素材を窓や壁（ついたて）に使うことで，プライバシと開放性を両立できる（写真8）．具体的には，室内の人の顔の位置に合わせて窓を不透明にすれば，窓の外の人と目が合って気まずいという事態を避けられる（写真9）．また，卓上の果物に直射日光が当たらないようにプログラムすることもできる（写真10）．窓の外に見たくない景色（派手な看板など）がある場合，その部分だけを不透明にすることも考えられる．

写真8　PDLC（Polymer Dispersed Liquid Crystal；高分子分散型液晶）の概要

写真9　外の人と視線が合わないように制御している壁

写真10　卓上の果物だけを日陰にする

●人間と技術の境目が消失するとき

　ユーザ・インターフェースというと，コンピュータと人間をつなぐものという認識があるが，暦本氏は，現実世界を快適にするために情報技術をどう使えるか，という観点（Surface Computingという概念）でとらえる．暦本氏は「人馬一体」という言葉が好きだと言う．どこまでが人間でどこからが技術か，という界面（インターフェース）が消失し，人間を拡張するのが究極の技術だと考えている．そして，梅棹 忠夫氏は人類の産業史を「農業の時代」，「工業の時代」，「精神産業の時代（情報の時代）」の3段階だと定義したが^（2*），ユビキタス・コンピューティングはこの逆をたどっているのではないか，と述べた（写真11）．

写真11　人類の産業史の進化とユビキタス・コンピューティングの推移の比較

参考・引用*文献
（1）Fritz Strack, Leonard L. Martin, Sabine Stepper; Inhibiting and Facilitating Conditions of the Human Smile: A Nonobtrusive Test of the Facial Feedback Hypothesis, Journal of Personality and Social Psychology, Vol 54(5), May 1988.

（2*）梅棹 忠夫；『情報の文明学』，中公叢書，1988年．