これからPLLを学ぶ設計者にも,すでに実務でPLLにかかわっている設計者にも薦められる良書 ―― 『完全ディジタルPLL回路の設計』
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本書は,完全ディジタルPLL(ADPLL:All Digital PLL)の創始者であるR. B. Staszewski教授が自ら著した唯一無二の解説書です.ADPLLの基本概念をすべて網羅した初の専門書であり,これからPLLを学ぼうとする技術者・研究者だけではなく,すべてのアナログ回路設計者にも薦められる必読書です.
ADPLLは,微細CMOSが抱えるさまざまな問題を解決するため,必然性の中から生まれた回路方式であり,PLLのみならずアナログ回路全般の設計概念を大幅に変革する可能性があります.微細CMOSはもっぱらディジタル回路向けに最適化されており,低電源電圧化による消費電力の削減と高速なスイッチング速度を実現しています.その一方で,無理なスケーリングのための高いしきい値電圧や低い移動度は,アナログ回路にとっては致命的な問題となっています.
このような中,当時,米国Texas Instruments社に在籍していたR. B. Staszewski教授が提唱したのは,「アナログ信号を電圧ではなく時間間隔により表現する」という概念です.これは,従来の電圧方向の信号分解能を用いる連続時間系アナログ信号処理の回路方式から,時間方向の信号分解能を用いる離散時間系アナログ信号処理の回路方式への変革を意味します.従来から知られていた信号処理方式ではありますが,そこから一歩踏み込み,実用的な完全ディジタルPLLと共に発表したところに説得力があったと思います.
ADPLLは,折しも当時流行しつつあったディジタル・アシスト・アナログ回路技術を典型的に具現化する回路例であり,時流をとらえて一大研究分野を切り拓いています.現在でも多数の研究報告がなされているのは,背景となる概念だけではなく,回路方式としても優秀さが認められているからにほかなりません.これからのアナログ回路技術の潮流としてのディジタル・アシスト・アナログ回路技術を学ぶ上でも,本書は重要な示唆に満ちています.PLLを専門とする設計者だけでなく,ほかの回路ブロックを専門とする設計者にもぜひ読んでいただきたいと思います.
またADPLLは,微細CMOSを用いる上での最重要回路課題の一つであるにもかかわらず,これまでに包括的な専門書は出版されてきませんでした.本書は,ADPLLの本質を読み解くにはそれなりの知識と労力が必要ですが,それに値する待望の解説書です.
以下で,各章について簡単に紹介します.
- 第1章はイントロダクションであり,ADPLLをRFシンセサイザとして用いる場合の要求性能について簡潔に解説している
- 第2章および第3章では,ディジタル制御発振器(DCO)について解説.設計に必要な知識はこれらの章により,ひと通り理解できると思われる
- 第4章は,ADPLLの全体構成について解説.本書における最重要章であり,重厚な内容となっている
- 第5章は,ADPLLの応用として,定包絡線送信機への適用例が記されている.
- 第6章ではVHDLによるADPLLのシミュレーション方法について,第7章では実装例および測定評価方法について解説.実際の設計で必ず必要となるこれらの詳細について記載していることは,大いに評価できる
第1~4章はPLL以外を専門とする設計者においても必読です.第4章の一部として記載されている時間-ディジタル変換器(TDC)については,著者自身の研究成果のみならず,他者の成果も盛り込んだ解説にするべきだったのではないかと思います.内容的な不足が見受けられます.
本書を読めば,ADPLLの設計には,従来よりも高度なアナログ回路設計技術が必要であることが分かります.設計が簡単になる魔法のような特効薬ではなくとも,ADPLLは,その困難を乗り越えてでも会得するに値する新しい回路技術です.
最後に,本書を読むにあたって注意するべきことを記します.原著書は2006年のものであり,その後,目まぐるしい速度で新しい回路方式が次々に提案されています.そのため,ADPLLの全体構成や時間-ディジタル変換器(TDC)の回路方式については,本書では網羅しきれていません.実際の回路設計においては,論文などから最新の知識を補う必要があります.しかし,それらの最新の論文を理解する上でも,本書に記載されている基本概念は必須の知識です.本書は,これからPLLを学ぶ設計者にも,すでに実務でPLLにかかわっている設計者にも薦められる良書です.
おかだ・けんいち
東京工業大学 大学院理工学研究科 電子物理工学専攻 准教授
http://www.ssc.pe.titech.ac.jp/~okada/
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