拝啓 半導体エンジニアさま(9) ―― 新しい分野に移る際に求められるものの見方とは
はるか昔のことになりますが,業界に入りたてのころ,ある偉い人から「新人のうちは素直に先輩の教えを聞いた方が良いが,技術が分かってきたら他人の言っていることに対して『本当なのかどうか?』と吟味する目を混ぜていくのが良いのだ」というお話しを聞いた記憶があります.そのとき確か,その偉い人は,スライダックか何かを操作するような手つきで,「素直」と「懐疑」の按配(あんばい)をアナログ的にずらして設定するような仕草をしました.「ほほぅ,そんなものかい」と新人だった私は素直にそのお言葉を覚えたものです.
しかし現実には,なかなかその教えのようにはいきませんでした.すぐに分かったような気になって,新人の「素直に聞く」という心得をさっさと忘れてしまった上,そのうち人の言うことを聞く耳まで持たなくなりました.今になって「あのころちゃんと聞いておけばよかった」と思います.「後悔先に立ず」とはこういうことでしょう.
「懐疑」か「吟味」についても同じようなものです.一人前になったような気でいた若いころは,「吟味」といってもかなり危ない「吟味」ばかりだったような気がします.胸に手を当てて思い起こしてみれば,勝手な先入観や自分の立場で相手の言っていることを判断して,気にいらないものやよく分からないものは全否定する,といった行動をとってしまったこともあったような気がします.また,後で考えれば,根拠の薄い議論に加担したようなケースもあったように思います.
●根っこに横たわる自然現象を押さえる
そのあたり,いまだによくできているのかどうか自信がないのですが,年齢を経るにつれ,判断基準のブレは小さくなってきているような気がします.相手の言うことを聞くことは大事です.けれども,このごろ考えるのは,単に相手の「意見」を聞き取るというよりは,相手が「よりどころ」としている背景の物理現象をよく聞き出して,まずはそれを正しく理解するのが第一ではないか,ということです.
エンジニアリングには,いわゆるヒト・モノ・カネといわれる要素があり,数々の「人為」のなせる業が積み重なって構成されています.しかし,それらを一皮ずつはいでいけば,最後のところは「自然現象」が根っこに横たわっているのがごく普通のエンジニアリングだと思います.どこまでを「自然現象」ととらえるかについてはいろいろな考え方があり得るのですが,それについては深入りしないことにします.しかし,そこの理解が間違っていると,いくらヒト・モノ・カネを動かしても,はかばかしい結果は得られないということには合意していただけるのではないでしょうか.
ついつい日常の仕事では,「自然現象」はすでにお互い分かりあっているはずという前提で,ヒト・モノ・カネ関係のナマナマしい話ばかりになってしまうのですが,上部構造である「人為」を支える「自然現象」の理解が脆弱(ぜいじゃく)なまま突き進んでいると,後で自然からしっぺ返しを受けます.面倒でも根っこの部分の現象の理解というのは常に心に留めておかないといけないように思います.
●慣れ親しんだ手法の「再吟味」が必要
特に,一度,根っこに立ち戻ることの必要性を痛感するのが,今まである種「ルーチン」でやってきたような分野から新しい分野や境界領域的な分野へテーマを移すときでしょうか.すでに基礎的な技術が確立し,「ルーチン」的に派生品種やらシリーズ展開の設計やらをやっているときは,経験的な知見が大きくものを言い,それをうまく使い回すことで非常に効率的に仕事が進められます.どの職場にもきっと,受け継がれてきた考え方というか,確立した手法があるでしょう.職場によっては,偉大な先輩の金言が伝承されているかもしれません.固定した分野で「継続」を旨とする場合であれば,そのような伝承に即してやっていくのが,失敗しない早道です.けれどもそこに『再吟味』が必要になるのが,新しい分野にテーマを移すとき,あるいは移さないとならないときなのだと思います.
慣れ親しんだ手法というか経験は,もはや血肉になっているので,金科玉条とまではいかなくともついつい無意識に使ってしまいがちだと思います.また,長年「教え」に従ってうまくいっていたのに,それを変えるとか,それを「懐疑」の目で見直すというのは,心理的にも抵抗があります.場合によっては,長年自分自身で培ってきた自分の経験を見直さなければならず,これはこれでシンドイ作業です.
その際に忘れていなければ良いのですが,そもそも,その伝承された手法なり自身の経験には,それを適用するための前提条件があったはずです.ついつい,忘れてしまいがちなそのような前提条件を思い出し,新しい問題に適用できるかどうかを考え直してみるには,根っこの自然現象の理解にまで立ち戻る必要があるでしょう.
最大の問題は,あまりに「教え」に素直になりすぎると,吟味すべき対象なのかどうかすら忘れてしまうことかもしれません.はたまた,いまさら「素直」に現象の理解などを学び直すにはほかのいろいろなことを知りすぎた,ということかもしれません.