温故知新と国際標準に挟まれた技術の位置づけを探る ――『技術立国・日本の原点 「技術は文化なり」の時代を創る』
温故知新と国際標準に挟まれた技術の位置づけを探る
志村幸雄 著
アスペクト 刊
ISBN4-7572-0850-2
B5判
286ページ
1,800円(税別)
2001年7月
技術には,必ず文化的背景が存在する――いささか微妙な表現である.「まさのその通り」と賛同する人もいれば,「技術はそれだけで独立しているものだ」と拒絶する人もいることだろう.しかし,現代の技術が,古来より脈々と受け継がれてきた「ものづくり」の延長線上に存在するという視点に異議を唱える人はいないと思う.では,「ものづくり」とは文化なのか? それとも,文明という社会的ハードウェアの一部分を構成する一要素にしかすぎないのだろうか?
確かに,現在の技術には「国際標準」がついて回る.デファクトにしろ規格にしろ「標準」が支配する世界では,身勝手な発想は許されない.標準となる技術は元々独創的で画期的なものだったはずなのだが,「標準」になってしまったとたんに元の独創性を維持し続けることのみを目的とし,他の独創性を封じ込めてしまうという性格があるのも事実である.「標準」が叫ばれる現在の技術において,独創的な技術がひしめきあう世界は望みづらいのかもしれない.ずいぶんと息苦しい話ではある.
さて,ここで紹介する本書は,「ものづくり」=「文化」という視点で技術を捉え直そうという試みで書かれた本である.技術が文化であると捉える以上,国々によって,または人によって各自の文化的背景・特色を備えた技術を望むということになる.すると,「国際標準」という概念と真っ向から衝突することになるのだが,この点に関して著者は次のように述べている.
『二十一世紀には「多様性」がいっそう重視されるようになり、世界標準による制度・文化の平準化よりも,固有文化の回復がまず優先される.社会制度や企業システムは,むしろそれを出発点にして再構築を図るのが妥当と思われる』.
現在の流れを考えると,かなりラジカルな提案である.
しかし,著者は,日本を例に,職人による創意工夫,独創の歴史を挙げ,現在の日本の技術が,確かにその文化の延長上にあるものであると論証しようと本書で試みている.例を挙げれば,茶運び人形とヒューマノイド・ロボットASIMO,何でも小型軽量化を図ろうとする伝統,キリシタン魔鏡とシリコン・ウェハの検査,折り紙と人工衛星のソーラ・パネルなど....
著者の主張を要約すれば,次のようになるだろうか.『日本は古来より技術を大切にし,独創的な開発を成し遂げてきた国である.そして,技術は確かに文化を形成し,その文化が新しい技術に影響を与えている』.
この意見に対し,賛同するのも,異を唱えるのも読者の自由である.ただ,本書を一読してから,じっくりと考えたうえで答えを出してもらいたい.
大野典宏
組み込みネット 編集部