ET2011_25周年特別座談会

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キャッチアップ 2011年10月27日

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ET25周年記念 特別企画
座談会「日本の組込み業界の過去・現在・未来を語る」
~過去を振り返りながら未来に向けて,組込み業界が今何をすべきか~
 


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Embedded Technology 2011 / 組込み総合技術展(略称ET)が今年で25周年を迎える.それ
を記念して,組込み業界およびETに長く関わってきた4人のキーマンをお迎えして,組み込み業
界の過去・現在・未来を語っていただきました.
 <出席者>
 河原 隆氏  (株)アドバンスド・データ・コントロールズ,代表取締役社長
 永島 晃氏  東京農工大学 客員教授,元横河電機(株)
 宗像 尚郎氏  (株)ルネサスソリューションズ 第三応用技術本部エグセクティブ
 門田 浩氏  組込みシステム技術協会,専務理事

 山本 潔 コーディネータ役 CQ出版(株) クロスメディア部


 25周年CQ企画座談会用組込み年表.pdf

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JASAの設立,展示会の開催経緯



~はじめに,JASA「社団法人 組込みシステム技術協会」が設立され,ET「組込み総合技術展」が開催されるようになった経緯について,まず,JASA設立の頃の状況から教えてください.

河合(JASA以下同):日本では,70年代半ばから80年代に,マイコン・システム機器を開発する企業が増加してきました.そのような開発はメーカだけでなく,それまであったミニコン系や,情報サービス系の企業もやっていました.そのような中で,マイコンのソフト,ハードの技術をもった技術者がメーカや商社,研究機関などからスピン・オフして,独立系の企業が次々に誕生してきたという経緯があります.
 それらの企業が,当時システム・ハウスと呼ばれるようになり,マイコン・システム製品の設計開発,販売などの中心を担うようになっていました.

~JASAという略称の由来は.

河合:1986年に,システムハウスの業界団体として,日本システムハウス協会(Japan Systemhouse Association,略称JASA)が設立されました.実はそれ以前から,日本マイクロコンピュータシステム工業会,近畿システムハウス協会など,北海道から九州まで六つの任意団体が活動していました.これを全国組織にして,法人化したのがJASAです.
 全国組織となり,技術の普及・高度化,人材育成など協会事業を展開するとともに,やはり地域振興というところには特に重点を置き,またシステム・ハウスという業界の地位確立に力を注いできたと思っています.
 その後,2006年に現在の組込みシステム技術協会に名称を変更しましたが,親しまれてきた略称のJASAはそのまま残しました.

~ET開催の経緯を教えてください.

河合:協会が設立された翌年,1987年に,池袋サンシャインシティで,第1回 ツールフェアを開催しました(写真1).当時,晴海ではエレクトロニクスショー,流通センターではマイコンショー(電子,マイコンの総合的な展示会)が華々しく開催されていたのですが,このツールフェアは,特にマイコンの応用製品を開発するためのソフト,ハードのツールを取り上げ,マイコン応用システムを開発する企業と技術者のための専門展示会としてスタートしました.当時,来場者は2日間で3200名となっています.


写真1 第1回 ツールフェアに出展の横河電機
左のパネルには「マイコン開発の流れはアセンブラからC言語へ。rDEB(C言語ソースレベルリアルタイムデバッガ)」とある.


~その後の展示会の変遷はどのようなものでしょうか.
河合:1988年から,ツールだけでなくて,マイコン応用製品自体を対象とするような形で,マイコンシステム&ツールフェア(MST)という名称で実施するようになりました.その後,業界の方々による委員会を組織させていただき,カンファレンスや展示内容の拡充を図り,半導体メーカ,OSやミドルウェア・ベンダ,商社や,またこの業界に新規参入してきた企業,そういうところの方たちも取り込んでいけるような形で展開してきました.
 2002年からはET(組込み総合技術展)と名称を改め,会場も現在のパシフィコ横浜に移して,組込み技術全般に関する専門展示会として大きく発展してきました.このETによって組込みの業界を牽引してきたと言っても過言ではないと思います.


マイコンの登場と進化


~まず,1971年に初めてマイコンが登場してから,第1回のET(当時の名称はツールフェア)が開催される前後までの進化を振り返っていただきましょう.

山本:マイコン4004が登場したのが1971年,5年後にZ80,その2年後に8086というようにあっという間に進化しましたね.さらに,1980年代前半,ETが始まる前の5年ぐらいの間に,EthernetRISC,PC,ITRONなど,今の基本となるものが次々に登場しています.その中で,TRONは日本の組込み業界が一つにまとまる大きな契機だったと思います.

~日本の半導体メーカの初期のマイコン,4ビットとか8ビットはどうでしたか.
宗像:4ビットとか8ビットの頃は,最初はシーケンサの置き換えでした.開発もアセンブラで.この命令はどのくらいの時間で処理されるか,と意識してコードを書いていました.



宗像 尚郎氏  (株)ルネサスソリューションズ 第三応用技術本部エグセクティブ


~OSはいつ頃から入ってきたのですか

宗像:一つのプログラムは基本的に1人で書いていて,最初はOSも必要ありませんでしたが,64Kぐらいがその限界でした.245Kとかさらに大きくなると,OSなしではどうにもならなくなります.
 その頃ちょうどITRONが出てきて,開発手法が大きく変わりました.で,OSが入ると他人のコードも同時に動かすので,デバッグしたくなるわけですね.どうなってるのって.それで,デバッガなどのツールも増えてきました.

~C言語はまだ使われなかったのですか.

宗像:Cが組込みで本当に使われるのはもう少し後で,当時はまだメモリが非常に高価だったので,バイナリを小さくすることが要求されていました.で,その後だんだんCが入って開発効率が革命的に向上しましたね.

山本:日立さんはH8,H16,H32とラインナップを揃えていて,それからRISCのSHが出てきますが,RISCっていうのは高級言語,C対応を考えてということですか.

宗像:そうですね.それも大きいです.


リアルタイムOSと開発環境


~ITRONの話が出てきましたが,それ以前のOSや開発環境はどうでしたか

山本:WindRiver社ができたのが1980年頃だったと思います.私の記憶では,その頃はOSベンダではなくて,開発環境ベンダでしたね.まだ自前のOS(VxWorks)はなくて,pSOSなどの2~3種類から選べたと思います.

河原:私の記憶ですと,8080とかZ80のCP/Mマシンが出てきて,開発ツールとしてBasicみたいなものが出てきて.それで少しずつ慣れ親しんでいきましたね.
 その後,ITRONが出たときに,言語処理系の開発はMicrotech Research社に委託してしまった.Cコンパイラ部(アセンブリ・コードを出力するまで)はGreen Hills Software社が担当していた.それがずっと尾を引いていて,その後の日本で言語系の技術が育たなかった要因になっている気がします.


河原 隆氏  (株)アドバンスド・データ・コントロールズ,代表取締役社長



~TRONはどのようなプロジェクトだったのでしょうか

門田:坂村先生は,先日亡くなったスティーブ・ジョブズのように,パーソナル・コンピュータ環境みたいなものをずっと考えておられました.TRONの中にいくつかプロジェクトがあって,組込みRTOSのITRON,大きなトランザクションを想定したCTRON,パソコンのBTRON,もう一つMTRONというのがあります.


門田 浩氏  組込みシステム技術協会,専務理事



~その中でRTOSのITRONが非常に普及したわけですね.
門田:マイコンがまず使われたのは,制御ロジックの代替でした.まずはここにフォーカスしなければというわけで,坂村先生は,ITRONに非常に大きなウェイトを置かれました.TRONのブロジェクトというかコミュニティは,間接的には人材の育成がありました,LSI設計開発にもチャレンジがありました,ソフトウェアも作りました,大げさに申しますとメーカの枠を超えて技術的な発展の礎を作ったと言えるでしょう.


ツールの進化 コンパイラと言語系


~初期のマイコン,組込みはアセンブラ中心だったようですが,Cはどうだったのでしょうか.

山本:インターフェース誌で最初にCの記事をやったのは1981年ですね.

河原:
その頃,今の会社を設立する前,アドバンス産業という会社でWhitesmiths社の代理店としてCを扱っていました.インターフェース誌に広告を出したこともあります.
 当時Cコンパイラを動かす環境は,CP/M-80,68Kや86だけでなく,日立さんだったら日立さんのメイン・フレームとかエンジニアリング・ワークステーション(EWS),NECさんや東芝さんのEWS,Apollo DomainというEWSもよく使っていました.そういう形で,まずクロス・コンパイラとして入ってきて,そこからだんだんとCを使うところが増えてきましたね.

~半導体メーカではコンパイラは作らないのですか.

河原:16ビット,32ビット系になると,プロセッサの開発過程でコードを調べるためのCコンパイラが必要で,何らかのものは作る必要があります.ただ,外販するようなタイプにするのはたいへんだし,自社のプロセッサのためだけに技術者を丸抱えして,1社内で自社のためだけに全部やっていくというのは難しくなっていますね.各社でアライアンスを組んでアウトソーシングできる仕組みを作っておけば良かったのではないかと思いますね.

~海外の半導体メーカもそうなのでしょうか.
河原:アメリカの場合は,そういった言語処理の開発部門は,独立して成り立つようになっていると思います.あるいは,成り立っているところを買収したりとかしていますが,いずれにしても,あくまでもプロフィットを出すというのが前提ですね.利益を出さなくていい,コストセンターでいいという考え方はないですね.
 あと,Cコンパイラのパーサと構文解析,これは今一体になっていますが,サポートしているのは世界でただ1社,Edison Design Groupしか,私は知りません。ほとんどの半導体メーカは同社からそれを買ってるんですね.もう同じなんです,入り口は.ついでに言いますと,ライブラリはDinkumware社(Whitesmiths社を設立したP. J. Plaugerが設立)がメインの提供元です.


ツールの進化 エミュレータとデバッガ


~ハードウェア・ツールの重要性が高くて,ICE,エミュータがないととても開発はできないという時代が結構長かったですよね.
永島:昔はそうでしたね.HPのHP64000というのがICEの神様みたいなもので,当時700万から800万しました.それで,横河ディジタルコンピュータ(当時ユーシステム)で250万以内のICEとしてAdviceを開発して,市場のブレーク・スルーがあるというので参入しました.その時代は,もう日本中の企業がマイコンを作っていましたね.


永島 晃氏 東京農工大学 客員教授,元横河電機(株)



~それはいつ頃ですか?

永島:1989年頃,ベルリンの壁が崩壊した頃です.あの頃はアプリケーションごとに,これはモーション・コントロール用とか,そういう形でいろいろ最適化されたチップが出てきて,日本のマイコンの素晴らしい時代でしたね.それが32ビットになってCPU全体のスピードが上がるにつれて,そういう専用化されて高性能化されたことで競争力がなくなり,衰退していきました.何か,技術の方向がちょっとずれてしまった気がしています.

~CPUの性能向上がICEに与えた影響はどうですか?

永島:Adviceを最初に作ったとき,20MHz対応ですごいと言っていたのが,すぐ追い越されていくわけです.しかもキャッシュがCPUに入って,だんだんチップの動きを外から見るのが困難になってしまいました.だから,もうICEはJTAGエミュレータにほとんど代わっています.ICEのことだけでなく,最近のプログラマには,CPUはCで動いていると本当に思っている人がいっぱいいると思います.アセンブラで動いてるなんて思っている人はいないだろうし,機械語でシフト・レジスタがあってビットがあってなんて,たぶん分からないと思うんですよ.

~SHあたりはどうでしょうか?
宗像:デバッガは,もちろんプログラムをデバッグするためのものですが,SHぐらいになって制御系や車のエンジン制御に使うようになると,挙動解析というか,リアル・タイムでトレースできることがすごく大事な機能で,それがないとシステムが作れない時代になりました.今もその要求は変わってないですが,CPUが速くなりすぎて全部取れないので.(一同笑)違う方法で見なければならないようになってしまいました.

~今後のハードウェア・ツールの方向性は,どうなっていくのでしょうか.

永島:機械語,アセンブラのレベルを知って,なおかつネットワーク環境で膨大なプログラムのデバッグをしようというのは,もう無理ですよね.アプリケーションを書く人にとっては,C言語すらもう忘れてしまいたい,という時代なのかもしれませんね.


オープン・ソースの動向


~日本では,TRONプロジェクトが企業の枠を越えたコラボを実現し,その影響が大きかったという話がありました.グローバルに見ると,もう一つ大きな潮流としてフリーソフトウェアやオープン・ソースがあり,現在のLinuxにもつながっています.

山本:組込みでは,最初「仕事ではGNUは使えないよ」と言われていたのが,90年代半ばあたりから,「使えるかもしれない」,「できれば使いたい」に変化していったと思います.

宗像:エンタープライズ系ではLinuxベースのシステムが市場に投入され始めていましたが,コンシューマ向けでは本格的にはもう少し先です.ちょうど一般家庭にインターネットが届き始めた時期でもあり,私もADSLルータ やNAS向けにSHでLinuxを搭載した製品の提案を始めていました.ネットワークの相互接続性や,PC用のファイル・システムを使いたいというニーズから,組込みにオープン・ソースが使われ始めた黎明期でしたね.


山本 潔 CQ出版(株) クロスメディア部



河原:
2000年頃にはLinuxに関心が高まり,組込みソフトウェア・ビジネスの形態がライセンス・ビジネスからサポート・サービス・ビジネスへと変化していくのか,非常に気にしていました.GNUは無償で使用可能ですが,サポートを他社にお願いする費用が必要になる.これと同じ条件にするには,導入時にフリーの評価期間を設けて,使用継続するならライセンス料を支払ってもらうと,トータルでは2~3年後にGNUのサポート費の合計と同じになるはずだと.そんな中で,エーアイコーポレーションと共同でA&Aリナックスを2001年に設立し,いろいろと挑戦しましたが,残念ながら解散しました.その後はLinuxには直接関わらない方向ですが,LGPLに抵触しないライブラリとして,Dinkumware社の製品をライセンスしています.フリー・ソフトでも無償ライセンス・ソフトでも,開発,メンテナンス,サポートと,人が動く限りはコストがかかるのは避けられない事実ですね.

山本:
オープン・ソースやフリー・ソフトのライセンスの問題は難しいですね.河原さんの話に出てきたLGPLは,少し緩やかなGPLということでライブラリなどに適用されたりしました.GPLも現実世界に対応するために,一様ではなく進化しているように見えます.

宗像:最近では組込みと言っても,従来のコントローラ的なものから,スマートフォンやタブレットPCまで非常に幅が広くなっています.スマートフォンではデュアル・コア,1GHz,2Mバイトなどという,一昔前のPC以上のプロセッサを誰でも日常的に持ち歩く時代です.Linuxなしでは製品が作れないゾーンが組込みにも確実に広がってきて,オープン・ソースは一般の組込み技術者でも避けて通れません.オープン・ソースにはいろいろなソフトがあるので,これらをかき集めると非常に短時間でデモ用のプロトタイプなら立ち上げられますが,製品に仕上げるには相当な苦労があり,これまで経験していない問題が起きます.オープン・ソースでビジネスをするのは簡単ではないですが,霞を食っては生きていけないので,あきらめるわけにはいかないと思います.


アプリケーションの将来



~マイコン,OS,ツールについてお話しいただいてきました.ここでは,組込みアプリケーション開発の現状から将来に向けて,展望や提案も含めてお話しください.
宗像:開発がなくなるなんてことは絶対にないと思いますが,ただそのやり方は変わりますよね.今は,バリューチェーンがサービス系とかコンテンツ系に行ってるので,次のブレーク・スルーを見つけないと厳しい感じですね.

永島:
どこに期待をするか,どこに狙いをもっていくかですね.例えば,携帯電話キャリアのVerizon社では,1台当たり月に4,000円ぐらいしか売り上げがない.どうするかというと,人に使ってもらうんじゃなくて,マシンに使ってもらいたいと.彼らは,マシンtoマシンの用途に,携帯電話をすごい勢いで突然押し込もうとしてるわけです.風を吹かせて桶屋でもうかろうみたいな.だいぶ離れてるんだけど,そのへんを考えないと,これからのビジネスは,市場的にはある種飽和してるんですよね.

門田:
マイコンが世に出てから40年,第1次マイコン革命は終わったのではないでしょうか.今は我慢の時だと思います.次なる軽薄短小の革命が必ず起こります.組込み技術者の皆さんはそれまでに次なる技術を身に付けるべく研鑽に励んでいただきたいですね.

河原:そういう夢のような話だと,人間の健康管理のために,ゲノムを全部解析してコントロールしながら,ここに問題があったから直そうって.脳は死んでも肉体は死なないんじゃないか,みたいな話もありますよね.

永島:
昔からの日本の強さを生かすなら,ものすごく小さいチップで,16ビットで機械語で良くて,高性能だけどほとんど電気も使わないようなものですよ.圧力変化とか自然パワーだけでそれこそ永久動作するようなものが,今ならできると思うんですよ.それ,日本人の強みですから.四畳半みたいに狭くて制約があるところって,我々大好きですから(一同笑).

宗像:
省電力で言えば,今のSoCは,うちだけじゃなく世界中そうですが,パワー・ドメイン,電源島って概念があって,チップの中で部分的に電源が切れるんですね.そこを自動化するもっとスマートな仕掛けを作れば,日本はもう一度世界のトップになれる可能性はあると思って,それは完全にハードとソフト連携の話なんですね.世界で一番電池が長持ちするものを目指して,そのへんでみんなで協力し合いたいんですよね,ほんとに.

山本:
グローバル化の中で日本の特徴をアピールするものは,まだまだあるのではないかと思います.埋もれてるだけかもしれないですが.今日はお集まりいただきどうもありがとうございました.


(収録:2011年10月7日,社団法人 組込みシステム技術協会会議室)






 

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