鶴見川橋です.この立派な橋を渡り終わると,立て札がありました.
|
以前は「鶴見橋」と呼ばれていたみたいです.
江戸時代の終わりに,外国に向けて横浜港が開港されました.そのとき,日本人が外国人に対して「悪さ」をしないようにするため,関門を設けて横浜に入る人たちを取り締まっていたのだそうです.その関門の一つが,この「鶴見橋」でした.
しかし,そんなふうに厳しく取り締まっていたにもかかわらず,悲しいかな,あの「生麦事件」が起きてしまうわけですね. |
ここで,「『生麦事件』? なんだそりゃぁ?」と思った方,その答えはこの道をひたすら西に進めば出てくるのです.
そうそう,この生麦旧道をひたすら西へ.ただ一路ばく進! すると進行方向左手に,「生麦事件の碑」を発見!!
この生麦の地で,薩摩藩の島津久光(だれだそりゃ?)の前を横切ろうとしたイギリス人が殺傷されてしまったのが「生麦事件」です.この事件は,その後の薩英戦争(???)の契機になったといいます.
なるほどぉ.実に痛ましい.生麦事件かぁ…,とわかったふりをしながらも,歴史にはとても弱い私(「桶狭間の戦いで戦ったのは織田信長と徳川家康?」なんてことを平気で言うようなヤツ).そんな私が思い浮かべたことといえば,