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◆生麦街道まっしぐら

 答えはズバリ,
芭蕉句碑です(わかった方エライ!).芭蕉がそろそろ旅に疲れ(ていたかどうかは知らないが),郷里の伊賀へ帰ろうと決意し,この地でお弟子さんたちとお別れしたらしい.そこで一句,

麦の穂を たよりにつかむ 別れかな  by 松尾芭蕉


「芭蕉句碑」.右側の碑に上記の俳句がつづってある.



 芭蕉の俳句に感動した私は,芭蕉が伊賀に帰るとき使ったであろう道のりを歩くことにしました.「八丁畷駅」を左手に見ながら,一路西へ進んでいったわけです.すると,見えてきました.


 鶴見川橋です.この立派な橋を渡り終わると,立て札がありました.

 以前は「鶴見橋」と呼ばれていたみたいです.

 江戸時代の終わりに,外国に向けて横浜港が開港されました.そのとき,日本人が外国人に対して「悪さ」をしないようにするため,関門を設けて横浜に入る人たちを取り締まっていたのだそうです.その関門の一つが,この「鶴見橋」でした.

 しかし,そんなふうに厳しく取り締まっていたにもかかわらず,悲しいかな,あの「生麦事件」が起きてしまうわけですね



 ここで,「『生麦事件』? なんだそりゃぁ?」と思った方,その答えはこの道をひたすら西に進めば出てくるのです.


 そうそう,この生麦旧道をひたすら西へ.ただ一路ばく進! すると進行方向左手に,「生麦事件の碑」を発見!!


 この生麦の地で,薩摩藩の島津久光(
だれだそりゃ?)の前を横切ろうとしたイギリス人が殺傷されてしまったのが「生麦事件」です.この事件は,その後の薩英戦争(???)の契機になったといいます.

 なるほどぉ.実に痛ましい.生麦事件かぁ…,とわかったふりをしながらも,歴史にはとても弱い私(
「桶狭間の戦いで戦ったのは織田信長と徳川家康?」なんてことを平気で言うようなヤツ).そんな私が思い浮かべたことといえば,

生麦?

麦芽?


麦酒(ビール)?


 などと他愛のないことを考えながら,「生麦事件の碑」から右手にふっと目を向けると,そこにはなんと….


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