IV. 追い上げ

 事態は,4月17日のミーティングを境に大きく動き出す.東海大学 教授の清水尚彦氏が「私ではあまり役に立たない気もしますが,おもしろそうだから参加してみたい思いもあります」と発言し,17日のミーティングに参加するのである.そして,ミーティングの帰りの新幹線の中(1時間弱)で,ロケットに搭載するデータ・ロガーの概略仕様と検討課題をリストアップし,翌日にはメーリング・リストに投稿したのである.

 ここで,一気に議論が具体的なものに変わった.搭載するのはCPUかFPGAか,最大積載重量はどの程度か,電池は何を使えば重量内に収まるのか,フラッシュ・メモリには何分間の記録を残せればよいのか,などの技術論議でメーリング・リストがにぎわう.また,大学教授である清水氏が参加するということは,清水研究室のメンバである学生の協力を得られるということでもあった.

 実はもう1人,二上氏がプロジェクトに勧誘した岩橋正実氏は,4月17日のミーティングに参加することができなかった.この情報のギャップが,禍根を残すことになる….

 そして5月9日,荷重を加えた場合の到達高度などを調べるため,模型ロケットを使った打ち上げ実験(データ・ロガーの代わりにダミーの荷重を搭載する)が実施された.このとき,関西方面から見学に来ていた大学生の村井尚史氏も,帰りの電車でプロジェクトに参加することを表明する.


[写真3] ロケット発射実験
グラウンドに1辺50mの正三角形を引き,その中央から米国Estes Industries and COX社の模型ロケット「Hercules」打ち上げた.各頂点に人間が立ち,ロケットのパラシュートが開いた時点の頂角を,手製の頂角計で測定した.56度,65度,57度という数字より,到達高度は60m程度と算出された.ちなみにロケットの機体重量は43.7g,使用した推進器(火薬を含む)の重量は16.5gだった.

 そんな中,当プロジェクトの母体の一つであるSESSAMEのメンバが「成功では学ぶものが少ないから,かならず失敗させるように」と言った,といううわさがメーリング・リストに流れる.これに対し,岸田氏は「最初から失敗することを目的にしたプロジェクトに志願する人はいません」と怒る.そして,これをきっかけに,「何をもってこのプロジェクトの成功とするか」が議論され,このプロジェクトのゴールを以下のように定めることになった.

1)プロジェクト運営の成否(教育視点)
2)ドメイン・ミッションの達成(アプリケーション視点)
  …安全に打ち上げを行い,
   かつ飛翔軌跡をGPSデータとして記録し,
   再生できること
 これにより,ソフトウェア開発としては,1)管制基地局,2)搭載レコーダ,3)軌跡再生を主要な機能と位置づけることが決定した.そして議論を進めているうちに,プロジェクト・メンバであるはずの岩橋氏が,これまでずっとメーリング・リストからもれていたことが判明した.5月14日のことだった.

 慌てて岩橋氏をメーリング・リストに追加した4日後,岩橋氏から管制発射装置のシステム・モデル図(UMLのクラス図,シーケンス図として表記)とサブシステム構成図が提案される.未定義だった同期処理のイベントなどについても言及・確認したモデルの登場により,議論はシステムの詳細に進み,詰められていった.


[図4] 発射までのシーケンス図
岩橋氏が作成したシステム・モデル図の一部.UMLのシーケンス図の記法に基づいて記されている.

 これ以降,各種ソフトウェア開発,打ち上げシーケンスの詳細の詰め,回路図の設計と搭載ボード作成,手はんだによる実装など,着々と開発が進みはじめた.

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