「いろは人間学」バックナンバー

 

組み込めないネット編集部(と)


【言いわけの効用 ―くみこみがらみ No.0―
 南米には次のようなことわざがあります.

  「人が『言いわけ』を発明したときから,世界は順調に動きはじめた」

 日本では素直に非を認めることこそ潔しとし,言いわけは嫌われているみたいです.仕事のうえでは言いわけばかりする人は問題かもしれないけど,プライベートでは「言いわけ」もなかなか,考えようによっては,良いものです.

 まず, 相手を不安な気持ちから解き放とうという努力が感じられる(ことがある).その言いわけによって安らぎが得られる(ときもある).なにより言いわけにはユーモアがつきもの(でなくてはならない).そこで笑てしまったらこっちの負けです.許してあげます.たとえ「ごめん」のひと言が聞けなかったとしても・・・

 英語のExcuseは「言いわけする」と同時に「許す」の意味を持ちます.どうせ,許すのなら笑って許してあげましょう.言いわけする人も手練手管で笑わせましょう.そうすれば罪も軽くなるでしょう.ただ,「ごめん」とだけ言っておいたほうがうまくおさまる場合も(多々)ありますけど.

【ろくでなしの存在価値 ―くみこみがらみ No.1―
 ろくでなし.英語でいうと“a good-for-nothing”.なんだか身も蓋もないことばです.日本でも同じような意味で使われているみたいですが,その語源をみなさんはご存じですか? 「ろく」というのは「陸」の呉音だそうです.で,陸といえば「平ら」で「まっすぐ」.転じて「ふつう」,「まとも」という意味になったそうです.だから「ろくでなし」は「まともじゃない事,あるいは人」という意味.

 少し前までは,女性が結婚後,子どもも産まずに働き続けたりすると「ろくでもない嫁」と周りから厭味を言われたでしょう.終身雇用制度が健在だったころ,自分のステップアップのために会社をころころ変えていた人間は「ろくでもない部下」と陰口をたたかれていたかもしれません.でも,今ではどちらのタイプもふつうの人です.「ろくでなし」の中には,ただ時代の先を行っていて,周りから理解してもらえないだけの人がいるのかもしれません.だから「ろくでなし」なんて言われても,自分のやりかたを通してみるのも一つの道だと思います.

 ただ,くれぐれも「人でなし」とだけは,言われないように.意味がぜんぜん違ってきますから.

【薄情者と博愛主義者の共通点 ―くみこみがらみ No.2―
 「薄情者」と「博愛主義者」.友達になりたいのは博愛主義者.居心地が良さそうです.自分までやさしい人間になれそうな気分になります.でも,恋人にしたいかといえば,考えるものがあります.

 だれに対しても冷たい人とだれに対してもやさしい人.どちらをとっても,心が休まる暇がなさそうです.冷たくされれば,それは無条件で悲しい.こちらの気持ちが宙に浮いていて,受け止めてもらえないのですから.やさしくされれば,うれしい.でも,それはそのやさしさの対象が自分だけであればの話です.自分に対する愛情をほかの人にも同じように注がれているところを目の当たりにすると,複雑な気持ちになりませんか? 確かに,それは悪いことではないけれど,冷たくされるよりもっと強い孤独を感じてしまいそうです.

 薄情であれば,愛情が薄いのはあたりまえですけど,博愛も,あまりに広く愛情が分散しすぎて,濃度がどんどん薄まってしまいそう,なんて感じるのは私だけでしょうか.

【憎まれっ子の行く末 ―くみこみがらみ No.3―
 佐野洋子の本に載っていた川柳.

 「嫌われて長生きしたくないけれど,かわいがられて死ぬよりはまし」

 でも,嫌われている人ほど長生きするという見方もありますす.「憎まれっ子,世にはばかる」ということわざもありますし.あれ,これって「憎まれっ子は長生きする」という意味? 改めて,辞書を引いてみました.すると,「みんなに嫌われるようなものが,世間では権力をふるう」とあります.なるほど.

 というより,みんなに好かれる人では,上にのぼっていけないんだと思います.人に好かれるとなると,自分の意見を押し殺して,周りに気を配り,人にあわせなくてはいけません.しかし,人の上に立つべき人は,いつでも自分なりのビジョンがあり,それを行動に移す力を持っていなくてはいけません.「あの人は,強引だ」,「冷たい人だ」などと周りから陰口をたたかれている上司も少なくないでしょう.でも,じっくり話してみると,味わい深い人だったりします.

 まあ,中には本当に性格の悪い,姑息な人もいて,そんな人たちもやっぱり,上にあがっていったりする.下っ端としては,ただただ,良い上司にめぐり合うことを祈るばかりです.

【ホラ吹きとホント吹き ―くみこみがらみ No.4―
 ホラを吹く人を信用できますか? 個人的に言うとわたしはホラ吹きが好きです.ホラは明らかにウソとわかるので,楽しめます.ホラを吹く人の多くは,その場を楽しませようとしているのではないでしょうか.だからといって,ホラを多用すると,楽しんでいた人たちも,いい加減あきてきて,そっぽを向いてしまいます.

 一方,ホントのことばかり言う人の中にも信用できない人がいます.私的な見解で申しわけないのですが,「オレ(ワタシ)って,正直モノだから」と言って,言わなくてもいいことをズケズケと言う男(女)をわたしは信用しません.ホントのことであれば人を不快にさせないかというと,必ずしもそうとはかぎりません.

 ホラにしても,ホントにしても,口から出す前に,まず相手のことを考えることがたいせつなのだと思います.

【平凡に徹すると… ―くみこみがらみ No.5―
 中学生のころ,国語の宿題として毎日漢字200字を書かされていました.だれかがこの宿題を忘れるたびに,その先生は

「平凡に徹すれば,非凡な力になる」

と力説していました.おそらく「ちりも積もれば山となる」というようなことを言いたかったのかな,と今となっては思います.

 知人に英語がペラペラの人がいます.留学をしたわけでもなく,高い授業料を払って英会話スクールに通ったわけでもなく,社会人になってから毎日ただラジオの英会話を聞いていただけよ,と彼女は何食わぬ顔で言っています.

 特別なことをすれば,自分が特別になれる,というわけではなさそうです.単調な生活,平凡な自分と思いがちですが,くだらないとか,つまらないとかそんな物事でも,毎日積み重ねていくと,すごい能力に変わっているかもしれません.そして,平凡な日々の中で,徹するべきなにかをみつけられる能力,人はそれを「才能」と呼ぶのでしょう.

【隣の芝生は… ―くみこみがらみ No.6―
 前の会社を辞めて,数年海外で生活することを決めたとき,数人の同僚が,

「おまえは女だからその年になっても好き勝手なことができるんだよなぁ」

と言ってきました.その後,自分が男であることや年齢(でも彼らはまだ30にもなっていなかった)を理由に,社会に対する愚痴を聞かされました.なんとなく頭にきたわたしは,

「そんな変えられないことを言い訳にしてやりたいことやらないような人間は いくら条件がそろったとしても結局なにもやらない人間なんじゃないの?」

と言い放ち,大ひんしゅくを買ったことを覚えています.

 自分と違う立場の人を見るとき,なにかにつけて良いところばかりをうらやんでしまいがちです.立場が違えば,それに応じたメリットとデメリットの両方があることは,少し考えればわかりそうなことですが,なかなか冷静に目を向けることは難しいようです.

 しかし,うらやんだり,ぐちったりがかりで,ただ指をくわえているのではなにも現状はかわりません.隣の芝生は確かに青いけど,自分の芝生も自分でちゃんと世話することを忘れなければ,きれいな青色になると思うんですけど.

【チカラの出しどころ ―くみこみがらみ No.7―
 先日,田中真紀子外務大臣が更迭されました.政治にはほとんど興味はありませんが(国会中継の下品なヤジが許せないので…),ここのところの田中外務大臣を巡る騒動は,さすがに耳に入っていました.

 だれが正しくて,だれがまちがっているのかなんて,結局わかりません.ただ,この騒動だけでなく,政治がらみの話題で,いつも私が感じるのは,

「チカラを持っているものが,いつも正しい」

ということです.これは別に日本の政治についてだけではありません.人間社会がそういうふうにできているんだとも思えます.

 では,「チカラ」ってなんでしょう.昔,狩猟で生活していたころは「腕力」がものをいったのでしょう.近代化が進むにつれて「知力」が重要になってきて,現代はさしずめ「権力」と「財力」.これさえあれば,白いものだって黒いと言い放つことができるのかもしれません.

 しかし,人類の長い歴史の中には,「腕力」もなければ「権力」も「財力」もない人が,国を動かしたり歴史を塗り替えたりしていることも事実です.これらの人にはたしかに「知力」はあったと思います.でも,お金や権威よりも,もっと人を動かす最高のチカラがあったはず.それが「魅力」というものです.

【理解と誤解の微妙なバランス ―くみこみがらみ No.8―
 ある哲学者だったか心理学者だったかのことばです.

「結婚とは理解と誤解の微妙なバランスの上に成り立っている」

 このことばのわたしなりの解釈.「理解する」.これはたいせつなことだとわかります.その人の性格,考えかた,生い立ちなどを(ある程度)広く深くわかってあげないことには,(一般に無期限と言われている)共同生活を成り立たせることは不可能でしょう.

 では,「誤解」とは? これはおそらく「あばたもえくぼ」的なことなのではないでしょうか.つまり,好きな人のことをいいように解釈してあげる.客観的に見れば理屈に合わないことでも,「これでいいのだ」と考えることができる.別の言いかたをすれば「この人のことを理解してあげていると錯覚(誤解)できる」ことがたいせつなのかもしれません.

 たしかにこの二つが人間関係を長く保たせる秘けつなのかもしれません.が,日本でよく言われている「なにも言わなくてもわかってくれる」という考えが強いと,「誤解」の部分だけで成り立つ「虚構」の関係になりかねません.

 ちなみにこの「夫婦であればなにも言わなくてもわかりあえる」という考えかたには賛成しかねます.何年付き合おうとことばは必要.わかってくるのはただ「言うタイミングと言うべきことば」だけだとわたしは思っています.

【盗んだ人が悪いのか,盗まれた人が悪いのか
―くみこみがらみ
No.9―
 「人のモノを取ってはいけません」と小さなころから言われてきました.確かに,モノを盗むことはよくないことです.アイデアなどを盗むことも人としては最低でしょう.

 それでは,恋愛沙汰における「取った,取られた」はどうでしょう.この場合,だいたい「取ったほうが悪い」と一方的に非難されます.でも,考えてみると,取られたのは,「モノ」ではなく「人」です.もちろん,麻酔をかけられて,意識がないような状態で拉致されたのではありません.取った,取られたの対象は,判断力のある人間なのです.ですから,わたしはこの恋愛沙汰における「取った,取られた」ということばに抵抗があります.では,どう言うか.それは,「選ばれたか,選ばれなかったか」.

 こうなると,だれが悪いというわけではなくなります.みんなただ,選ばれるために精いっぱいです.あとは選ぶ人次第.選ばれなければ,あきらめて次に進めばいいのです.

 ただ,たまにちょっとした好奇心でちょっかいをかけてくるヤツ(いわゆる盗み食い)とか,選ぶことを避けてどちらにもいい顔をするヤツ(単なるご機嫌取り)なんかがいるので,そう簡単には事が運ばないのが常です.悲しいかな….

【ルックス重視 ―くみこみがらみ No.10―
 ある作家が母親に自分の顔かたちについて文句を言ったところ,

 「二十歳を過ぎたら,自分の顔には自分で責任を持て」

と言われたそうです.わたしもこの意見に賛成です.そんなわたしは,

 「人間,やっぱり,顔である」

と公言し,まわりから白い目で見られています.しかし,ここでいう「顔」とは,目鼻立ちなどではなく,表情や顔からにじみ出る雰囲気のことです.

 そこで,先ほどの作家の母親のことばに戻ります.人によって差はありますが,二十歳にもなればだいたい自分の思考や生きかたみたいなものは確立されると思います.すると,自然とその人の表情は,その人の考えかたやモノの見かたを反映すると思うのです.

 自信を持って人生を歩んでいる人はそんな表情を持ち,いつも後ろ向きの人はなんだか暗い表情を持ち,腹黒い人はちょっと油断のならない表情を持っているような気がします.たしかに表面だけでは,人間を深く知ることはできませんが,けっこう当たるもんです.

 ただ,彼氏や彼女を選ぶとき,顔だけにこだわりすぎると「あっ,だまされた!」と思うことも多々あります(それって実話?).ご注意を.

【ヲカシキヒト ―くみこみがらみ No.12―
 「をかし」という古語には,「(普通と違って)笑うべきさま」という意味と「(普通と違って)特別な趣がある」という二つの意味があります.昔から普通と違うものは,人の関心を引きます.と同時に,それは「冷笑されるもの」と「魅力的なもの」に分かれてしまうようです.

 だから他人から「おかしなヤツ」と言われたときは要注意.言った人の表情や語尾によって「あなたって,魅力的ね」というほめことばにもなるし,「アンタって気味悪いね」というキツイことばにもなります.では,自分で「私,変な人だから」と言う場合はどうでしょう.これはたいがい「私って,おもしろい人なのよ.人と違って個性的なの」というニュアンスで使われています.

 でもたまに,「私(オレ)って変なヤツなの」って言ってる人で,ほんとうに理解に苦しむ人っていませんか? 「個性的」ということばで,自分のエゴや非常識を通そうとする人.これはちょっと見苦しい.

 「あなたおかしいね」なんて言われたら,たとえそれがほめことばにしても,「もしかしたら自分が『をかしな(つまらない)』人になってるのかも」なんて省みることもときには必要なのではないでしょうか.

【若けりゃいいのね ―くみこみがらみ No.14―
 このごろ,わかってきたことがあります.それは,

「他人の年をとやかく言う人は,その人自身が年をとることを恐れている」

ということ.そのせいか,そんな人と話をしていても内容が後ろ向きで(私にとっては)つまらないことが多いです.逆に,年齢などを言いわけにせず,やりたいことをきちんとやっている人は,

「キミも,いい年だからそろそろ結婚したら? やっぱり女は若くなくっちゃ」

なんてことは言いません.そして,そんな人はいつも生き生きとしているので,いっしょにいるととても楽しいです.ですから,できればそんな人と暮らしたいし,自分自身もそんな人間でいたいですね.そう,年なんて気にせずに!

 なんてことを最近強く思うのは,やっぱり自分が「三十路」ラインを越えてしまったからかしら….

【かい性なし度チェック ―くみこみがらみ No.16―
 以下の項目のうち,いくつあなたに当てはまりますか?

1.座右の銘は,ズバリ,「果報は寝て待て」

2.「なせば成る」と思いながら,結局,何もしないことが多い

3.同僚が昇進すると,すなおに喜んであげる

4.上司に怒られても,3歩あるくと忘れる

5.青い空を見ていると,ふと,しごとをさぼりたくなる

6.100円ショップに行くと,「何でコレ買ったんだろう」と必ず後悔する

7.スーパーで激安品を山のように買い,そのほとんどを腐らせてしまう

8.よく考えると,身に付けているものは,ほとんどがもらいものだ

9.最近の楽しみは,「宝くじが当たったらどうしよう」と想像すること

10.預金額と働いた年月がまったく比例していない

 6個以上当てはまったアナタ.アナタはある意味「愛すべき人」です.

【欲張りじょうず ―くみこみがらみ No.18―
 欲ばることは悪いことではないと思います.人は欲によって動かされます.でも,求めかたに気をつけないと,他人から疎まれます.場合によっては欲しいものが手に入らないこともあるでしょう.しかも,求める方法には「これでOK」という決まった形がなく,その状況と求める相手をきちんと見極めなくてはなりません.

 つまらない例ですが,例えば自分の彼女が長い髪をばっさり切ってしまったが,自分は長い髪でいてほしい,ということを伝えるときのことを考えます.

 「おまえ,長い髪が似合うのにな」

 「オレは髪の長い女が好きなんだよ.髪伸ばせよ」

 どちらのことばが彼女のこころをあなたに従わせるでしょうか.答えは,「どちらとも言えない」.命令されるのが好きな人もいれば,それが嫌いな人もいます.

 えっ,私? 私がもし前者のことばを言われたら,「あっそ」の一言で終わるでしょう(内心,「アタシ,ショートも似合うもん」と思いながら…).では,もし後者のことばを言われたら.

 「じゃぁ,髪の長い女と付き合えば」

のひと言ですべてが終わるでしょう.

【他人のこどもの叱りかた ―くみこみがらみ No.20―
 職業柄,「どのような本が売れるのか」ということをよく考えます.最近,「これを出せば絶対ベストセラー」と思ったのが「他人のこどものじょうずな叱りかた」.

 電車の中やデパートなどの公共施設で,すさまじい騒ぎかたをする子どもたちをよく見かけます.たしかに電車や広々としたところは,私にとってもエキサイティングな場所です.少しくらい,声の調子が上がってもしかたのないことだと思います.しかし,度が過ぎると,騒ぎ声を聞いている側にとって,これほど苦痛なことはありません.

 で,親御さんたちはというと,慣れているのか,自分の子どものすることはなんでもかわいいのか,はたまた子どもに無関心なのかわかりませんが,なかなか注意しようとしません.そして,こちらが注意すると,「ほら,あのおばちゃんが怒るから」といって,子どもを静かにさせようとします.

 そんなとき,「それは違うんじゃないの.あなた(親御さん)が怒るのが筋なのでは…」と心の中で考えます.怒るという行為は,たいへんエネルギを使います.しかも,後味が悪い.だいたい,自分の親にも怒ってもらえない子どもなんて不幸です.それだけ,自分にエネルギを注いでもらっていないのですから.まぁ,いつも怒っているというのも考えものですが….

 そう考えると,根本的に必要とされているのは「自分のこどもを叱らない親への文句の言いかた」という本なのかもしれません.

【劣等感との付き合いかた ―くみこみがらみ No.22―
 同性を見るとき,あなたはどこにまず目がいきますか? そして,次に見てしまうところは?

 一説によると,最初に目がいってしまうところは外見的に「自分がコンプレックスを持っているところ」であり,2番目に見てしまうところは「自信のあるところ」なのだそうです.人間の心理としては,最初に負けて落ち込んで,その後自信のある部分で勝負して気分を盛り上げたい,といったところでしょうか.

 この心理は,人にものを言うときにも応用できます.例えば,「あなた,顔はすごくかわいいけど,性格悪いね」と言うところを,「あなた,性格悪いけど,顔はむちゃくちゃかわいいね」と言うと,同じことを言っているのにもかかわらず,最終的に相手が持つ感情が異なります.ちょっとしたことばの使いかたや気分の持ちようで,自分や他人のコンプレックスとうまくやっていけるようです.

 ただし,さんざん悪口を言ったあと,「いやぁ,キミかわいいよぉ」なんて言っても逆効果ですから,ご注意ください.

【素朴な疑問 ―くみこみがらみ No.24―
 なぜ,よりによってエスカレータの上り口で立ち止まって,ケータイでしゃべってるの?

 なぜ,わざわざ人がたくさん行き交う駅の階段付近に座り込んでるの?

 なぜ,人ごみの中で平気でたばこを吸えるの?

 なぜ,….

 他人の行動は不可解です.

 そんな私も,電車に乗り込んだとたんにほっとしてしまい,そのまま戸口のところにボーッと突っ立っていることがよくあります.

 他人の行動に疑問を持ちながら,気が付くと同じようなはた迷惑な行動をとっている自分は,もっと理解に苦しみます.

【つごうの良い解釈 ―くみこみがらみ No.27―
 どうやら世の中には,もっぱら自分につごうの良い方向へ解釈する「変換装置」を頭の中に内蔵している人がいるみたいです.例えば,

*(自分のミスで)上司に怒られた→「また,八つ当たりされちゃった,エヘ」

*会社にとんでもない服装でやってくる→「アタシって個性的でしょ?」

*社会的責任をまったく放棄して→「オレは自由に生きているんだ!」

*(嫌われて)よそよそしくされている→「照れちゃって,オレに気があるの?」

などなど.

 ここまで読んで,「それって,ポジティブ思考じゃん!」と思ったあなた.もしかして,あなたにもこの変換装置が搭載されています?
【猫のキモチ ―くみこみがらみ No.29―
 わが輩は猫である.名まえは「キャサリン」.キジトラの雑種のわが輩には,いささか不釣り合いなネーミングである.しかし,飼い主さまの愛を感じる.

 冬は苦手である.けれど,わが輩には毛皮がある.しかし,何を思ってか飼い主さまはわが輩にフリル付き(うっとーしいことこの上ない!)の洋服を着せる.でも,これも愛….

 子猫が生まれた.場所を移してやるときに首根っこをくわえて移動させた.飼い主さまに見つからぬようにそっと….人間界のCMというところで,だれかが猫の首根っこをつかんでいたら怒られたという話を聞いたから.そして,それもわれわれ猫への愛….

 そろそろ体が弱ってきた.自然に導かれるまま死に場所を探そうと思っていた.ところが,飼い主さまはわが輩を「病院」というところにつれてきた.もーろーとしながら,なお生き続けてしまっている.

 愛とは,とても「ニャオニャオ」なものだ….

【なんでもないこと ―くみこみがらみ No.31―
 昔,受験勉強でピリピリしていた私は,しょっちゅう祖母に八つ当たりしていました.それでも祖母は,「おもしろいテレビ番組やってるから,こっちへおいで」と,なにかと私に声をかけてくれました.

 現在,私のわがままに振り回され,少しご機嫌ななめの同居人ですが「ねぇ,すっごくおもしろいバラエティ番組見つけちゃったよ」と言って部屋に通してくれたりします.

 そういえば,外国でホームステイをしていたときのこと.いつも口論しているご夫婦なのに,やたらと「おーい,何チャネルでこんな番組やってるよぉ」と教え合っていたっけ….

 たかがテレビ番組.そんな些細なこと,なんでもないことから得た感動を伝えずにはいられない相手がいるんですね.そんなわけで,これだけの事例で私が勝手に導き出した法則.

「一見,仲が悪くても,インパクトのあるテレビ番組を見たとき,思わず声を かけ合ってしまう家族(友人,恋人)の絆は固い」

 だからといって,真夜中(あるいは早朝)に「ねぇねぇ,おもしろいテレビが…」と,相手をたたき起こすようなマネはやめましょう.かえって,仲違いしてしまう恐れがあります(自戒を込めて…). 

【“らしさ”の呪縛 ―くみこみがらみ No.33―
 「らしさ」ということばについての考察.

その1:自分で使うときには,非常につごうが良い.
(実例)だれかに文句を言われても,「だって,それが私らしいの!」のひと言でいつでも自己肯定できる.

その2:自分に向かって言われるときは,とても腹立たしい
(実例1)「もっと女らしくしろよ」 ムカッ
(実例2)「スカートはいてる.お前らしくないね,似合わねぇ」ムカムカッ
(実例3)「お前って男らしいよな」(私は女だ!)プツッ
(実例4)「ほんと,かわいらしくないよな」バシーン(平手打ち)

 以上,「らしさ」の乱用にはくれぐれもご注意を.
【「無邪気」攻撃 ―くみこみがらみ No.35―
 無邪気であること.これはつまり,疑うことを知らず,悪気がなく,さっぱりさわやかなようすを意味します.

 無邪気な笑顔は見ている人の心もまたすがすがしくしてくれます.無邪気な瞳で見つめられれば,ウソをつくのもはばかれます.

 しかし,この無邪気さが,ときとしてひどく人を傷つけたり,腹立たせたりします.

 疑うことを知らない=頭を使っていない
 
 悪気がない=注意してもきいてもらえない

 さっぱり=忘れっぽい

 さわやか=うさんくさい(これは私のヒガミか…)

 つまり,なんというか「無邪気」と「無神経」は紙一重のように思えるのです.「邪気」がないのはけっこうですが,「神経」がないのはちょっと(いや,かなり)困りものです.

【うわさのこわさ ―くみこみがらみ No.37―
 うわさというものは,たいてい,たいして仲の良くない(あるいは一見仲良く見えても誠実でない)第3者らによって作られ,本人の知らない間に広まっていきます.

 たまに仲の良い友人から「あんた,こんなことを言われてるよ」と教えられ,驚いたり,あきれたりします.しかし,そんなことを耳にしたからといって,とりたてて抗議したり,弁解することはありません.また,彼らにしても,単におもしろがっているだけなので,真実を知る気もないでしょう.

 と,こんなふうに開き直っていると,うわさがどんどん大きくなって,社会的立場や人間関係に影響を与えることがあります.おそろしいことです.

 でも,それよりもっと困ることがあります.それは,ここで人に理解を求めるという訓練をおろそかにしていると,いざたいせつな人に自分をわかってもらおうとしたとき,きちんと表現できなくなってしまうということです.うわさにほんろうされるのはばかげていますが,どんな人にたいしても自分を理解させる努力は必要かもしれません.

 そんなわけで,みなさん,あのうわさはまったくのうそっぱちです.

【いやされたい人 ―くみこみがらみ No.39―
 以前つき合っていた人は,いつも「自分はバカだから」と言っていました.そう言われると,こちらもついつい,「そんなことないよ,だいじょうぶだよ(何が?)」と毎回,親身になって励ましていました.そんなに「バカだバカだ」と言っている暇があるのなら,きちんと勉強すればよいのに,と思わないこともなかったけれど….

 ところが,ある日,気が付いたわけです.ああ,この人は「そんなことないよ」と言われたいがために,いつもいじけてみせているのだな,ということに.そうなると,こちらも励ますのがばからしくなってきて,「私はあなたをバカだと思ったことはないけれど,本人がそう言うのなら,ほんとうにバカなのかもね」と言い放ってしまいました.そして,The end.

 最近はやりの「いやし」.彼もきっと,私にいやされたかったのでしょう.好きな人間であれば,励ましてあげたいし,いやしてもあげたくなります.でも,いつもいやされる側だけに立とうとしている人を見ると,「いやしたい」というよりも,イヤ気がさします.

【能ある鷹の爪のあか ―くみこみがらみ No.41―
 「能ある鷹は爪を隠す」.この意味は,三省堂の新明解国語事典第五版によると,「本当に実力のある人は,真に必要のある場合にしか,それを示さないもの」なのだそうです.

 逆に言えば,意味もなく才能(と思われるもの)を見せびらかしている人は,たいして実力がないと言えます.

 でも,それよりひどいのは,自分のことを「能ある鷹」だと思っている人ではないでしょうか.「いざというときには,『爪』を出すから」と思いながら,その実,出すべき爪を持っていないような人をたまに見かけます.

 と,この文章を書いている間に,編集長から「メルマガ,早く出せ!」という催促が….「だいじょうぶ,だいじょうぶ.おもしろいのをバシッと出しますから!(そのうちに…)」.

【おいしい人生 ―くみこみがらみ No.43―
 私は,いわゆる「グルメ」ではありません.人に言わせると「マズイ」の基準がそうとう低いそうです.何を食べてもおいしいと感じる,というよりは食事自体にたいして興味がありません.基本的に,私にとって食事とは,「食べものを味わう」というよりも,「お腹に何かを入れる」といった意味合いが強いのです.

 ところが,そんな私でも味覚が冴えわたるときがあります.それはある特定の人たちと食事をするときです.それがどのような人たちかというと,友人であったり,家族であったり,はたまた異性として惚れた相手.つまり,私の好きな人たちです.この人たちと向かいあっていると,会話,雰囲気,そして味という,さまざまなものをかみしめながら食事をとることができます.

 豊かな人間関係が豊かな食生活を生み,結果として健全で幸せな人生を送ることができるのではないでしょうか.

 ただし,好きな人と食事をとっていると,ふだんの倍以上食べる(飲む)ため,脂肪も豊かになってしまうのが,私の悩みのタネでもあります.

【苦悩の人 ―くみこみがらみ No.45―
 私が考えごとをしているとき,たいがいの人が「なにボーっとしてるの?」と尋ねてきます.「いや,ちょっと考えごとをしてて」と言えばよいものを,たいがい「へらへら」っと笑っているため,何も考えていないように思われてしまいます.

 そういえば,小学校のとき,「考えてるなら,考えてるフリぐらいしろっ!」と,先生にひどく怒られたことがあります.そのときだって,私は先生の質問に対してすごーくまじめに考え込んでいたのですが….

 そんなわけで,私がボーっとしているように見えるときは,そのままほうっておいてやってください.すごく真剣に,しごとについて考えているはずですから.……たぶん.

【焼き肉食べたい ―くみこみがらみ No.47―
 「普通はこうなんだよ」と言われて,「えっ,それが一般常識なの?」と耳を疑うことがけっこうあります.

 ある日,私を含めて女2名と男2名で食事をすることになりました.そこで私は真っ先に「焼き肉食べに行こう!」と提案.ところが驚いたことに,みんな(特に女性)が引くこと,引くこと.なぜかと問えば,「普通,男の子と焼き肉なんて行かないよ」ということでした.ついでに「焼き肉屋さんにいっしょに行く男女ってのはすでに深い仲らしいよ」とのこと.へぇ〜.

 「あなた,××くんとつき合っているんでしょ?」と,友人から突然の,しかも自分にはまったく心当たりのない問い.「なんで?」と聞き返すと,「だって,普通,毎日顔を合わせてたら,お互い意識し合うでしょう」との答え.ふ〜ん.

 まぁ,どうでもいいけど,焼き肉くらい好きに食わせろぉ!

【マザコンで悪いか! ―くみこみがらみ No.49―
 嫁と姑の仲.いつの時代も,どこの国でも絶えることのないテーマ.

 とある友人の話.彼女はラテン系の国の方とつき合っていました.彼は30才くらい.しごとはまじめだし,彼女をとてもたいせつにします.そして,お国がらもあってか,彼はとても自分の母親を大事にします.それはたいへん良いことなのですが,「ママ,ママ」と言ってすりよる姿に,たじろぐこともあったそうです(嫌悪感やヤキモチを含めて).

 ある日,ついに彼女は切れてしまいました.「いい年して,母親に甘えてるのはよしなさいよ!」,と.すると,彼は毅然とした態度でこう言い放ったそうです.

 「自分を産んで育ててくれた母親を愛し,大事にして何が悪い!」

 正論.

 冷静になって考えてみれば,自分の親のことを悪く言う人間よりも,ずっと人として信頼できるかもしれません.

 この話を聞いて,結婚して男の子を授かったら,やっぱり「母親を好きで何が悪い!」ときっぱり言ってくれる子どもに育てたいと思う私です.私のような人間がいるかぎり,やっぱり嫁と姑の問題は解消されることのない永遠の課題だと思っています.

【結婚の条件 ―くみこみがらみ No.51―
 「私の夢は,好きな人と結婚することです」

 中学校の学級会で,先生に「将来の夢は?」と問われて,いたってまじめに友人はこう答えました.それを聞いた私は,「けっ! 何をあたりまえのことを…」と内心毒づいていました.当時の私は,「『結婚』とは,そもそも自分が好きな人とするものなのだ」と信じて疑いませんでした.

 なんて無知で,なんて幸せな日々….

 あれから15年.たとえ私が好きでも相手は何とも思っていなかったり,私を好いてくれていても私はそいつが大嫌いだったり,奇跡的に両思いになっても決して長続きしない….お互いを好きになる,あるいは好きであり続けることがこんなにも難しいことだとは….そして,私も成長しました.

 「好きな人と結婚できればそれにこしたことはない.それができなければ,  結婚する必要もない」

 なんて孤独で,なんてお気楽な日々….


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