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Mr. M.P.Iのプロセッサ・レビュー
M.P.I |
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マルチプロセッサそのものは古くからあるし,マルチスレッド化はすでに進んでいるので,マルチコアはその延長と見られがちである.しかし,今回の動きは「延長」と捉えるべきではなく,既存路線の「終わりの始まり」であり,新たなパラダイムへの出発点ではないかと筆者は考えている. ●マルチでヘテロでグリッドでクラスタで… x86の終末.技術的には,いつかその日が来るものと予想していたが,時期は予想できなかった.いざ,それに連なる発表がなされると,「ついにこのときが来たか」という感慨をあらためて抱かざるをえない.ただし,終わるのはx86アーキテクチャだけではない.端的に言ってしまえば,「x86に代表される昔ながらのコンピュータの時代」が終わるということである. 来たるべきマルチコアの時代はその初期においては「古典的マルチプロセッサ」と同じところから出発すると思われるが,進歩するにつれて別のものに変わっていくと筆者は確信している.その転換点という意味で,今回の発表には歴史的な意義がある.Intel社自身もそれを意識しているようで,「今後はコンピューティングそのものが変革されていくのだ」という趣旨の説明を繰り返している.ただ,いまは形になってみんなの目に見えていないので,真剣に(深刻に?)取り上げているところは多くないようだ. マルチコアをなぜそう重大に捉えるのか.理由は二つある.一つは,「x86に代表される従来のコンピューティングのパラダイムが限界に達した」というシグナルが,もっともこれに真剣に取り組んできた企業から発せられたという重みである.そしてもう一つは,マルチコアの行き着く先にある異形のマシンの姿の予想だ. 限界はすでに見えていた.増大する消費電力の問題しかり,命令レベルの並列度に対するアーキテクチャ的な限界しかり,リーク電流やら配線遅延やらプロセス的な限界しかり,プロセッサの性能向上に追いつけないメモリ・バンド幅の問題しかり.いつその限界を見切って転換するのかが問題となっていた.後続のランナにはまだ走るべき直線があり,コーナは先なのだが,業界をけん引する先頭ランナがコーナでカーブを切ろうとしているのを(後続の)われわれは見てしまったのだ.今やコーナの場所がわかり,それはわれわれの多くがいずれ通るであろう道でもある.その先はどうなっていくのか,ということもある程度予想がついている. それは,非常に数多くのプロセッサ・コアがそれぞれ異なる機能タスクごとに動作し,全体として総合的にソリューションを生み出すという,マルチでヘテロでグリッドでクラスタでリコンフィギャラブルな(?)コンピューティングの世界である.その最終形態は,現在のコンピュータ・システムから見れば異形と言わざるをえないようなシロモノだろう.インターネットに接続されたサーバ,パソコン,ネットワーク家電などをネットワークごと1個のシステムに封じ込めたイメージに近いかもしれない.その中にはデータベース・サーバあり,クラスタの検索エンジンあり,グリッドの演算エンジンあり,専用コアのマルチメディア・デコーダ/エンコーダまである.また,クロスバ・スイッチを使った高速バックボーン・ネットワーク,マルチプロセッサ・バス,ペリフェラル間の専用インターフェースもある.それが単一のシステム,そして最終的には1チップになるというのが行き着く先の姿であろうと筆者は想像している. ●これまでの常識が意味をなさない世界に そうした異形のシステムでは,これまで常識だったことが意味をなさなくなる.例えば,高速なプロセッサと言えば,高速なクロックを追求していくものであった.実際,従来は○GHzという表示によってプロセッサの価格が決まっていた.しかし,異なる多くのコアが存在し,それぞれが異なるクロック・ドメインを持っていたらどうだろう.また,ビット数という概念も意味がなくなる.異形のシステムの中でも汎用プロセッサ部は残るだろうが,それが32ビットか64ビットかはあまり意味がない.専用コアは1,024ビット以上ということもありえるし,「リコンフィギャラブル」でビット数は実行途中で可変ということさえありえるからだ. 今後,徐々にx86が変質していくにつれて,たぶん,パソコンというプラットホームは新たなパラダイムへ向かって変質していくことになるだろう.それは一気になされる変革ではないため,みんなはそれに気づかないかもしれない.x86 のかくも静かな終末を…. (本コラムはDESIGN WAVE MAGAZINE 2004年12月号に掲載されました) |
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◆筆者プロフィール◆ |
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